社交不安・対人緊張

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身近で悩む人の多い問題

 社交不安障害は身近な障害で、命にかかわるような問題でないため、軽く考えられてきたきらいがあったが、生活の困難や人生の可能性を狭めてしまいかねないという点では、決して軽視できない、重要な問題である。

単なる恥ずかしがりやや緊張しやすい性格ぐらいに考えられがちだが、不登校や職業生活の行き詰まり、恋愛や結婚の障害ともなり、ボディブローのように人生にダメージを与えかねない。

 もっとも多い症状ととしては、人前で喋るのが苦手であるとか、ほかの人と食事をするのが気づまりだということで、顔を合わしたり、目を合わせたりすることも、避けようとしてしまう。

生活全般が委縮している場合もあるが、スピーチや人前でのパフォーマンスにだけ、困難が限局したタイプもある。

人が怖い

 人はなぜ人を恐れるのか、という問いは、おそらく反対であるべきなのだ。

なぜなら、多くの動物は、同じ群れの仲間以外には、激しい恐怖や敵意を感じ、攻撃性を剥き出しにして、縄張りを守ろうとするからである。

むしろ、人はなぜ人を恐れないのかと問われるべきだろう。
 
 それが、まさに「社会化」の過程と呼ばれるものであり、その過程を成し遂げた社会人たるものは、初対面であっても、リッラックスして、にこやかに友好的に振る舞うことを求められる。

一対一の関係だけでなく、複数の人、時には、大勢の人の前に立ち、あたかも自宅の居間にでもいるように、くつろいで、ユーモアを交えながら、一人の人に語りかけるように、話すことが求められることもある。

 本能的には、感じるはずの恐怖や緊張を克服できるのは、幼い頃からの体験と学習の賜だと言えるだろう。

人は恐れるべきものではないということを、長い時間をかけて学ぶわけである。

 だが、不幸にして、そうした幼い日からの体験が、人は怖いものだと教えるものだとしたら、その人は人と接することに強い不安と緊張を感じることになる。

たとえば、幼い頃、いつもは優しいおじさんが激しく怒鳴っている場面を見て、心底驚愕したという体験だけでも、人に対する警戒心を高めることになる。

養育者からの暴力や虐待も、人に対する緊張感を必要以上に高めてしまう。

あるいは、養育者自身の安心感が乏しく、他人に対してネガティブなイメージを持っていて、人は油断ならない、怖い存在だというメッセージを吹き込まれ続けていれば、その影響を免れることは難しいだろう。

あるいはまた、もう少し年が上がってからであれ、いじめられた体験は、人に対して不安や緊張を抱きやすくする。

これらの体験は、人を社会に馴化させるプロセスを損なってしまうのである。
 
 さらに、思春期が始まったとき、子どもたちの身には異変が起きる。

急激な体の変化や、性徴の表れは、羞恥心を芽生えさせ、体の外見や周囲の眼差しに対して敏感になるだけでなく、異性の関心を獲得する競走へと否応なく駆り立てられるのである。
 
 これまで、当然のごとく与えられた親の愛情とは異なり、異性の関心や愛を得ることは、選ばれることである。

それは、とてもシビアな評価にさらされることを意味する。

恥ずかしさや失敗への恐れと自己アピールへの欲求という不安定な葛藤の中に、思春期の子どもたちは置かれる。

彼らは、日々ステージの上にでも立つような、不安と緊張を強いられる。

 思春期が始まるまでの段階で、他者に対する恐怖を克服できていないと、思春期のこの葛藤は、つらく、形勢不利なものとなりやすい。

その過敏な時期に、失敗しりたり、人前で恥をかく体験をすると、それは強烈な屈辱体験として、記憶に刻み込まれる。

人と接すること、異性と接することはなおさらのこと、その人にとっては、不安と緊張を強いられる難事となる。

 社会恐怖の人では、怒っている顔や蔑むような表情に対して、脳の扁桃体と呼ばれる部位が過剰に反応することがわかっている。

扁桃体は、不快な記憶を蓄積している器官で、嫌悪や恐怖と深く結びついた部位である。

社会恐怖の人では、人に対して恐怖すべき体験が扁桃体に刻まれているのである。

【ケース】 緊張する青年

大学生三年生の青年が、講義に出られなくなっていると、母親と医療機関にやってきた。

話を聞くと、きっかけは、ゼミで発表の順番が回ってくるようになってから、ひどく負担を感じるようになり、ゼミを休むようになったことだった。

以来、ゼミだけでなく、大学の他の講義にも出づらくなったという。

人前で極度に緊張し、手が震えたり、体の動きがぎこちなくなってしまったりする。

教養課程の間は、講義を聴くだけでよかったので、どうにか出られていた。

それでも、休憩時間や食堂で食事をするのは苦手で、まったく食べずに過ごすこともあった。

食堂が混雑しているので、学生同士向かい合って座らなければならないが、その状況が苦手だという。

高校生の頃から、人前で食事するのは、周囲の視線が気になり苦手だと思うようになった。

レストランのような場所も避けていたという。

 不安や緊張を抑える薬を投与して、間もなく出席を再開。

食堂は相変わらず苦手であったが、将来のためにサークルの参加を勧め、歴史を研究するサークルに顔を出すようになった。

そこで居場所を見つけ、友人もでき、大学生らしい楽しみをエンジョイしているようだった。

 この青年の場合、とてもプライドが高く、恥をかくのではないかという恐れが、とても強かった。

恥をかく勇気を持てと言い続け、お行儀のよい枠を外させるように、あれこれ注文をつけた。

父親は一流企業のサラリーマン、母親も立派な人で、きちんとした躾を受けた青年だったが、それが逆に自分を常に抑えて、形通りにふるまわなければならないという思い込みが、対人緊張を強めているようだった。

対人緊張や社会不安の強い人では、支配的な両親から、折り目正しい躾や指導を受けて育っていることが多い。

緊張で震える体の動き一つ一つから、彼の両親のこと細かな指導の声が聞こえてきそうだった。

このタイプの青年では、のびのびと、気ままにやらせてもらうという経験が不足している。

絶えず、相手の評価や視線を気にしてしまうのであるが、それは、厳しい親が注いできて視線の名残でもある。

社会恐怖と対人恐怖

 社会恐怖(社会不安障害)という言い方が使われる前は、「対人恐怖症」という言い方がよく使われた。

対人恐怖症は、かつての日本に非常に多いものであった。

対人恐怖症には、人前で極度に緊張する「対人緊張症」や、顔が赤くなるのではという不安がつよい「赤面恐怖」、他人の視線や自分の視線を過度に意識し、目が合わせられない「視線恐怖」、自分の醜さを相手に不快な思いをさせるのではと恐れる「醜貌恐怖」なども含まれる。

つまり、対人恐怖は社会恐怖より広い概念だといえる。

対人恐怖症の特徴は、相手に不快な思いをさせるのではないかという極度の気遣いが背景にある点である。

社会恐怖が、本人の側の不安と恐れに焦点が注がれている点が大きく異なっている。

躾の厳しい、世間体などを重んじる家庭で育てられた子どもには、今も、対人恐怖症がみられる。

社会恐怖の有病率は2~3%と多いものである。

多くは十代に始まる。

特定の恐怖症の有病率は5~10%といわれるが、やや軽いものも含めれば、はるかに高率となるだろう。

社会恐怖や対人恐怖の治療では、精神療法、集団療法、行動療法、薬物療法などが状態や段階に応じて組み合わせ、進めるのがもっとも有効で現実的である。

ここでも、安心できる仲間に受けいれられる体験が、症状を飛躍的に軽減させていく。

また、吃音症の克服と同じように、人前で積極的にディプレイしたり、演じる訓練を積むことで、苦手が得意に変わっていくこともしばしば経験する。

※社交不安障害のための認知行動療法やトラウマケア、社交不安障害を改善するために最独自に開発した改善プログラムなどの専門的な心理療法を、提携しているカウンセリング・センターで提供しております。

特定の恐怖症に対しては、暴露療法を中心とした行動療法が効果的である。

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この記事を書いた人

香川県出身。東京大学哲学科中退。京都大学医学部卒業。2013年岡田クリニック開院。山形大学客員教授として、研究者や教員の社会的スキルの向上やメンタルヘルスにも取り組む。

著書に、『アスペルガー症候群』『ストレスと適応障害』『境界性パーソナリティ障害』(幻冬舎新書)『パーソナリティ障害』『働く人のための精神医学』(PHP研究所)『愛着障害』(光文社新書)『母という病』(ポプラ社)など多数。

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