PTSD・解離

目次

【PTSD(心的外傷後ストレス障害)】

 PTSDとは、急性ストレス障害が、生命を脅かすようなショッキングな出来事が起きた直後から発症し、通常は数日以内に収まるのに対して、出来事の数日から数か月(通常は六か月以内)の潜伏期の後に発症するもので、症状が長引く場合もある。

症状としては、過覚醒、回避、侵入症状(フラッシュバック)の三つが診断的には重要である。

過覚醒は、神経が過敏になることによって、物音に敏感になったり、不眠になったり、強い驚愕反応が見られたりする。

回避は、トラウマになっている状況を避けようとする症状で、その場所やそれを連想させるものを避けようとしたり、そのことを忘れようとする。

ぼんやりと無感覚になり、何も感じないといった状態が見られることもある。

 侵入症状(フラッシュバック)は、思い出したくない外傷的な場面が、ありありと脳裏や眼前に蘇ってくる現象で、恐怖やパニックにとらわれることもある。

一時的な記憶の脱落や意識の変容を伴うこともあり、周囲には不可解に思える行動をとったり、自分でも何が起きたのかはっきりと覚えていないという場合も少なくない。

 それ以外にも、気分が沈んだり、不安感が強まったりするといった症状は必発である。

以前の生活が失われてしまったという喪失感や無力感にとらわれたり、自分のせいでそうした事態を招いたのではないかと、自分を責めたりすることも多く、希死念慮を抱くこともしばしはである。

 過覚醒状態や抑うつ状態を紛らわそうとして、アルコールや薬物に頼ることが非常に多く、それらに依存しやすい。

PTSDそのものよりも、後から生じたアルコールや薬物依存が、回復を困難にする場合もある。

 PTSDの予防や遷延化を防止するためには、早期の段階で適切な支援や治療を行うことが、とても重要である。

かつてはトラウマとなった状況を、語らせないほうがいいと考えられたときもあったが、近年では、できるだけ早い時期に、その出来事を話したり表現したりすることが、PTSDの予防につながると考えられている。

 このことは、身近なところで起きる、さまざまな不愉快な出来事やトラブルについても言えるだろう。

そのことを誰にも語らず、心のうちに溜め込んでいくことが長期にわたって続くと、次第に心が蝕まれていく原因ともなる。

厭なことがあればすぐにそれを誰かに話して解消した方がよいのである。

 どんなことも言える存在、「安全基地」となる存在を確保することが、心の健康を守るうえでも大事である。

壊された人生

 心的外傷後ストレス障害(PTSD)という言葉が、日本で盛んに用いられるようになったのは、阪神大震災以降である。

日本で初めて大規模な、災害によるPTSDの調査が行われたのも、阪神大震災のときであった。

その後、池田小学校の事件でも、事件が児童に引き起こすPTSDの可能性が直後から懸念され、カウンセリングなどの介入が行われた。

災害や犯罪被害だけでなく、日常的に頻発している虐待、DVなどによって起こるPTSDが、一般の人の間にも広く知られるようになった。

 歴史的に見ると、PTSDの存在が知られるようになったのは、ヴェトナム戦争の帰還兵に起こる精神障害の治療や研究からであった。

さらに以前から、戦争神経症というものが知られてはいたが、ヴェトナム戦争では、これまでにない規模で、多くの兵士たちが共通する心の後遺症に悩まされたのである。

大義を失い、国民からさえも賛同を失った戦争を戦わされた兵士達は、戦い自体によってだけでなく、その無意味さと人々の否定的な眼差しによって、二重に傷つくことになった。

 ヴェトナム戦争を扱った映画で、アカデミー賞を受賞した『ディア・ハンター』という作品がある。

ペンシルベニア州の山地の村に住むロシア移民の若者マイケルは、親友のニックとともに徴兵され、ヴェトナムのジャングルに送り込まれる。

戦争の悲惨な体験の中で、彼らの心はバランスを失っていく。

やがて、マイケルはペンシルベニアの故郷に帰還するのだが、足がすくんだように自宅に戻ることができない。

親友のニックをヴェトナムに残していたのだ。

ニックは、戦争の中で、すっかり人が変わり、破滅的なギャンブルと麻薬によってしか、自分を紛らわすことのでない人間になっていた。

サイゴンが陥落する直前、マイケルはニックを探し出し、一緒に脱出することを促したのだが、ニックは、おれはもう戻らないと拒否したのである。

 ハーマンは、その著『心的外傷と回復』の中で、心的外傷体験がその人の人生にもたらす作用の本質について、「離断」という言葉を用いている。

離断とは、その人の本来あった生活や社会的関係から、切り離されてしまうことを意味する。

「外傷的事件は被害者の持つ、世界の安全性にかんする基礎的前提を破壊する。

自己の積極的(肯定的)価値を破壊し、創造された世界の意味ある秩序性を破壊する。」

外傷的体験は、単に心に傷痕を残すだけでなく、その人自体を、その人の住んでいた世界や築き上げてきた人生と一緒に、元に戻らないものに壊してしまうのである。

【ケース】 「自分を消し去りたい」

 F子は、美しい顔立ちをした十八歳の少女である。

だが、その手首や体には、何ヶ所も自分で傷つけた痛々しい傷痕があった。

F美は自分が汚らわしい、醜い存在に感じるという。

消し去りたい、この世から跡形もなく消しさりたい思いに囚われるという。

 日頃は、明るく、ユーモアがあり、人にもよく気を遣う子で、とても魅力的なのだが、何かの拍子に気が沈み始めると、まるで別人のように、暗く鬱陶しい顔になる。

そんなときは、頭を抱え、壁際にうずくまっている。

突然、金切り声を上げ、獣のような声を発することもある。

そんな錯乱した状態は、半時間ほどで収まるが、そのときのことを、あまりはっきり記憶していないという。

 やがて彼女は、そんなとき、同じ光景が目の前に襲いかかってくることを打ち明ける。

彼女の義父が、恐ろしい獣のように、彼女の体を弄ぶ光景だ。

そんな出来事が、小学校五年生のある日から、二年余りにわたって繰り返されたのだ。

だが、今でも、彼女はそんな義父を心から恨めないという。

彼女が甘酸っぱい自傷の味を覚えたのも、彼女が自傷すると、義父はおろおろして、彼女に優しくしてくれたからだった。

義父を恨みながら、そんな義父に頼らなければ生きていけない自分がいた。義父も弱い人間なのだと思うという。

その点では、自分と同じなのだと、F美は自分を無理に納得させようとしていた。

 F美は、深い罪悪感、自己否定感を抱え、常に自分には生きていく資格がないという思いに苛まれてきた。

人が自分を粗末に扱っても仕方がないことだと思ってしまう。

だが、その一方で、誰かの愛情にすがらないといられない。

たとえ、相手から暴力を振るわれても、それが二人を結びつける絆のように思ってしまうことさえある。

PTSDの三大症状

 心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断に当たっては、「例外的に強い」外傷体験をし、①外傷体験の繰り返される再体験、②外傷体験を想起することの回避、③覚醒亢進症状、の三つの症状が一ヶ月以上持続していることが要件となる。

 ①の外傷体験の再体験とは、繰り返し悪夢を見たり、忌まわしい光景が突然ありありと思い出される現象(フラッシュバック)に襲われたり、幻覚を見たり、子どもでは、次項で述べるように、外傷体験を象徴する遊びを繰り返したりすることも含まれる。

日常生活の中に、異物のように外傷体験の記憶が「侵入」してくるのである。

 ②の外傷体験を想起することの回避は、そのことについて話すことや、その出来事に関係するか連想させる場所や人物を避けることから始まって、さらには社会的活動全般を避けること、他人や人生に何かを期待するのを諦めてしまうという人生観や生き方の姿勢にまで及ぶ。

ハーマンは、こうした影響をひっくるめて「狭窄」と呼んだが、外傷を蒙った人は、生活範囲だけでなく、未来への希望さえも縮めることで、新たな傷つきから自分を守ろうとするのである。

 ③の覚醒亢進(過覚醒)とは、睡眠が妨げられることだけではなく、神経が過度に緊張し高ぶった状態を意味し、交感神経の過剰な興奮を伴っている。

イライラや怒りの爆発、集中できないこと、過度にびくびくしたり、警戒心が強いことにも顕れる。虐待を受けた子などでは、体に触れただけで、飛び上がるほど驚くこともある。

 PTSDがあると薬物やアルコールへの依存が生じやすいが、それは、こうした過覚醒状態を鎮め、また、意識を意図的に「狭窄」させることで、外傷体験の想起を避けるために、薬物やアルコールが一時的に役立つからである。

だが、それは、本質的な改善どころか、ますます問題を複雑化させることになる。

禁じられた遊びと服喪追悼(モーニングワーク)

 映画『禁じられた遊び』は、フランソワ・ボワイエの原作を、巨匠ルネ・クレマンが映像化したものだが、ナルシソ・イエペスの哀愁こもるギターとともに深い感動を呼んだ。

 ときは第二次大戦の最中。戦火を逃れ、家財道具とともに集団避難する一団の中に、九歳の娘ポートレットがいた。

彼女の母親は前日に機銃掃射によって殺された。

そして、その日、父親も銃弾を受けて倒れる。

父親の亡骸のそばに突っ立っていたポートレットも、やがてその場を離れて前に進まなければならない。

肉親の死を悲しむことさえ許されなかったのである。

 ポートレットは、小さな村の農家に預けられることになる。

その家にはミッシェルという男の子がいた。

手の付けられない悪戯っ子で、みんなから叱られてばかりいる。

だが、ミッシェルはポートレットには優しかった。

ポートレットはミッシェルのことを兄のように慕い、ミッシェルもポートレットを必死に守ってやる。

やがて、二人は秘密の遊びをするようになる。それは、アリやハエやネズミのお墓を作って、遊ぶことだった。

その遊びはどんどんエスカレートし、お墓を作るために礼拝堂の十字架まで盗んでしまう。

村は大騒ぎになり、やがて二人の遊びがばれてしまう……。

 ポートレットの遊びは、決して物語の中だけの出来事ではない。

先述のアンナ・フロイトも、戦争で恐怖の体験に遭遇し、親たちを失った子どもたちが行う遊びについて報告している。

その中で、バーティという四歳の少年の例が紹介されている。

バーティの一家は爆撃で被災し、父親は亡くなっていたが、バーティはまだその事実を受けいれようとしなかった。

バーティは紙の家を建て、それにおはじきの爆弾を降り注いで家を破壊した。

 そうした遊びをする子は他にもいたが、バーティの場合は、一つ違ったところがあった。

必ず最後には、すべての人が助けられ、また元通りに建て直されるのだった。

バーティが父親の死を否定している間、その遊びを強迫的に繰り返した。

半年後、ようやくバーティは、父親の死を認め、「ぼくのお父さんは殺されて、お母さんは病院にいっちゃった。

お母さんは、戦争が終わったら戻ってくるけどお父さんは戻ってこないんだ」と話した。

その後、繰り返された遊びは止んだのである。

 ハーマンは前述の著書の中で、外傷的遊びについてこんなふうに述べている。

通常の子どもの遊びは、楽しく自由なものであるが、「外傷の後に続く遊びは、単調でうっとうしい」。

そして、同じ遊びが長期にわたって「強迫的に反復される」と。

 トラウマを負った子どもたちが描く絵や箱庭の作品には、そうした偏執的なこだわりが見られる。

同じテーマが執拗に繰り返され、再現される。

だが、やがて、そうした反復行為が、トラウマからの回復に必要な段階であったことがわかってくる。

言葉にならない悲しみを表現するための手段であったのだ。

そして悲しみが悲しみとして表されるようになるとき、失われたものへの悲哀の作業、つまりモーニングワークが急速な進展を見せるのである。

 その意味で、十字架を立てて墓をつくるという「禁じられた遊び」は、ポートレットにとって、父母の死を悼み、禁じられた悲しみを解き放とうとする、無意識の服喪追悼の儀式だったと言えるかもしれない。

人生をつなぎ直す作業

 PTSDからの回復には幾つかの段階がある。

ハーマンによると、最初の段階は安全の確立である。

この段階では、診断名を告げ、これから立ち向かっていく問題に名前を与えて、治療の目的を明らかにするとともに、本人の安心を保障し、安全感を高めることで、自己コントロール能力を回復していく。

 第二の段階は想起と服喪追悼である。

スタッフの支えにより、安心が十分確かなものになると、外傷的な体験に向かい合う勇気を持つようになる。

忌まわしい体験について徐々に語り始めるのだ。

最初は途切れ途切れの断片でしかないが、徐々につながりをもった大きなストーリーに紡ぎ直されていく。「外傷的事件は被害者の持つ、世界の安全性にかんする基礎的前提を破壊する。

自己の積極的(肯定的)価値を破壊し、創造された世界の意味ある秩序性を破壊する。」そして、自分の身に起きたことを見つめ、そのことに対する怒りや悲しみを表現していく。

こうした過程は、際限なく続くようにも思われるが、実はそうではない。

「外傷的事件は被害者の持つ、世界の安全性にかんする基礎的前提を破壊する。

自己の積極的(肯定的)価値を破壊し、創造された世界の意味ある秩序性を破壊する。」

やがて出口が見えてくるのである。

つらかった体験を口にしても、もう心や体を揺すぶられることがなくなっていく。

「今や外傷物語は他の記憶と変わるところのない記憶となり、他の記憶が時とともに色あせるように色あせはじめる。(中略)

外傷が人生のストーリーの中でもっとも重要な部分でなく、もっとも興味のある部分でさえないようだということに」本人も気づくのである。

 第三の段階は、再結合である。

過去と和解を成し遂げた上で、元の日常に再び戻っていかねばならない。

それは、これから生きていく人生の新たな意味の発見でもある。

【解離性障害】

記憶が飛ぶ青年

 大学生のD夫が、ある朝目を覚ますと、見知らぬベンチの上で眠っていた。

駅の待合室らしかったが、覚えのない場所で、D夫は、なぜ自分がここにいるのか、わからなかった。

周囲を調べた結果、ここが、自殺の名所で有名な断崖の近くだということがわかった。

記憶をたどろうとしたが、前日、自宅を出てからの記憶が一切なかった。

 実は、D夫がこうした体験をするのは、初めてでなかった。

一ヶ月ほど前にも気がつくと、空港にいたことがあった。

なぜ、空港にいるのか、まったく記憶がなかった。

 心配になったD夫は医療機関を訪れたのである。

D夫の脳波には、θ波と呼ばれる、α波より少し遅い周波数の波が多めに認められたが、てんかん性の発作波はなかった。

脳の断層写真には異常なかった。

話を聞くうちに、D夫にはカードでできた数十万円の借金があり、親に打ち明けることもできずに悩んでいたことがわかった。

D夫は、できればこの世界から逃げ出したいという気持ちを持っていたことを認めた。

だが、そう言われるまで、D夫の中では、自分の奇妙な行動と悩みが結びついていないようだった。

 D夫のケースのように、意識や記憶や自己同一性の連続性が途切れることを「解離」と呼び、器質性や中毒性などの他の病因によらずに解離を反復する状態を「解離性障害」という。

D夫のケースのように、気がついたら、どこか見知らぬ場所に「旅行」してしまうものを「解離性遁走(フーグ)」、記憶の脱落を伴うものを「解離性健忘」という。

多くは、強い心理的な負荷がかかった状態で、それに対する回避的防衛として生じる。

 解離性障害は、道徳観や義務感の強い時代には、非常に多いものだった。

いまでも、解離性障害の人に典型的な性格の一つは、生真面目で、義務感が強いが、同時に、気が弱く、現実対処能力や自我に脆さを抱えているタイプである。

「せねばならない。だが、できない」というジレンマを、現実から意識や記憶を分断することで、棚上げにするのである。

心の傷と解離

最近、非常に増えている解離のケースは、心的外傷体験や見捨てられ体験をともなう次のようなケースである。

夢見がちで、本が大好きなU子は、自傷行為を何度か繰り返した。

ところが、U子は、自分がどうして自傷をしたのかを、よく覚えていないことが再三あった。

気がつくと、傷ついた腕から、血がだらだら流れ落ちているのだという。

また、U子は白昼夢を見たり、首をつった女の幻を見たり、亡くなった人が夜会いに来るという話もよくした。

けらけらと陽気に話をするかと思えば、一週間ほど一言も口を利かなくなった。

U子は、母一人子一人の家庭に育ったが、母親が不安定であったため、小学校高学年の頃から施設を転々とした生活をしていた。

中学三年生のとき、不良グループに輪姦されるという事件が起きた。

その光景が、今でも脳裏にまざまざと蘇り、不安と恐怖に囚われることがある。

だが、そう語るU子の言葉はどこか他人事のように、実感がこもらなかった。

その事件の頃から、生活が派手になり、施設を抜け出してはこっそり風俗で働いたり、テレクラで知り合った男性と援助交際をするようになった。

 U子のように、トラウマ体験の結果生じた心的外傷後ストレス障害(PTSD)のケースや自我基盤の脆い境界性パーソナリティ障害のケースでは、解離をしばしば伴う。

これらのタイプでは、古典的な解離のタイプとは異なり、非常に個性的で、表現力に富み、自己顕示的な印象を受けることが多い。

また、慢性的に虐待やいじめを受けていたケースでも、ストレス状況下で、解離反応が出現しやすい。

放火や突発的な犯罪の背景に、解離性障害がある場合もみられる。

解離性健忘は、男性より女性に起こりやすく、また若い人に多い。

天災、戦争、死別、借金、恋愛問題、自殺企図など強い精神的なストレスが原因となる。

配偶者からの暴力や児童虐待にともなって起きることも少なくない。

解離性遁走は、小学生以下では稀で、中学生以降見られるようになる。

身元不明の少年として保護される子どものうち一定割合を占める。

ヒステリーと転換・解離症状

 フロイトの友人であり、共同研究者でもあったジョセフ・ブロイラーは、アンナ・Oと名付けられた若い娘のケースを報告している。

アンナはウィーンの裕福な家庭に生まれ育った、辛抱強く思いやりのある女性であった。

知的好奇心と想像力に富み、詩を読んだり、自分で物語を空想するのが好きだった。

ただ、アンナは喜怒哀楽の差が大きく、気性の激しいところがあった。

 元気で快活なアンナに異変が起きたのは、敬愛する父親が結核になり、日夜の看護も虚しく病状は進む一方で、回復の見込みが絶望的であると知った頃からである。

 最初の症状は、激しい咳であった。

ブロイラーが診察を求められたのも、その咳を心配してであった。

しかし、咳は結核性のものではなかった。

だが、アンナは疲れやすく、食事も余り摂らず、やがて寝込んでしまう。

午後はうとうとして過ごしているのに、夜になると気が高ぶって興奮し始める。

後頭部が痛み、目が二重に見え、壁が傾いてくるように感じられ、腕が引きつり、麻痺を起こした。

 アンナは悲しみに暮れ不安げなときと、急に人が変わったように暴言を吐き、枕や手当たり次第の物を投げつけて、手の付けられない子どものようになるときとがあった。

 やがて、父親が亡くなり、立ち会った顧問医から、そのことを告げられても、アンナはまったく気づかないように無視していた。

顧問医がアンナに顔にタバコの煙を吹きつけて、さらに注意を呼び起こそうとしたとき、アンナは突然、相手を見つめ返し、いきなりドアの方に向かって駆けだした。

そして、鍵を掴もうとしたまま、意識を失って倒れた...。

 このアンナのケースは、当時「ヒステリー」と呼ばれていたものの典型的な例であった。

ヒステリーとは、元来「子宮の病」の意で、女性としての欲求を満たされないと、精神的な症状を生じると考えられていたのである。

このケースは、無意識の願望がさまざまな症状を引き起こすというフロイトの精神分析の概念にも大きな影響を与えることになる。

 アンナのように、ヒステリーのケースでは、転換症状と解離性症状の両方が見られることが少なくない。

あるときには、転換症状を主に示すが、別の時には解離症状を示すということもよくある。

つまり、解離も転換も、その本質的なメカニズムには共通する部分が大きいと考えられる。

その意味で、ヒステリーの概念は、その名称が誤解を生む側面がある一方で、病因を論じる場合には、転換と解離を別の病気のように扱うDSMの診断基準より優れた側面をもっている。

そういうこともあって、WHOの診断基準ICD‐10では、転換性障害は、身体表現性障害ではなく、解離性障害と一緒に分類されている。

【離人性障害】

離人症と離人性障害

「離人(状態)」とは、現実感が一過性に失われた状態のことをいう。

ごく当たり前に感じられていた現実がどこか作り物めいて感じられたり、機械仕掛けのように感じられたり、自分が行動しているのに、現実の中の出来事でないように実感を伴わなかったりするのである。

離人状態を繰り返し、持続してみられるものを「離人症」という。

 『分裂病少女の手記』というロングセラーの本がある。

スイスの精神医学者セシュエーが、統合失調症とされる、ある少女ルネの手記を纏めたものである。

そこには、離人症の印象的な描写が綴られている。

ルネが最初に悩み始めた症状は「非現実感」であった。

それは、最初、彼女が五歳のときに、こんなふうにして始まった。

 ルネが田舎を一人で散歩していたとき、学校の前を通りかかると、ちょうど唱歌の時間だったらしく、ドイツの歌が聞こえてきた(ルネはスイス人)。

ルネが歌を聴こうと立ち止まった瞬間、その後彼女を悩ますことになる感覚が襲ってきたのである。

 「もはや学校はそれとは認めることができなくなり、兵営のように大きくなって、歌を歌っている子供達は囚人で、歌うことを強制されているように思われました。

そして、学校や子供達の歌は、まるで世界から切り離されたもののようでした」

 ルネが世界をそんなふうに、不安定で、よそよそしいものに感じたのには、ある背景があった。

父親が他に女性を作り、母親を泣かせているということを知った直後だったのだ。

母親はもし夫に捨てられたら自殺してしまうと言っているのを聞き、ルネ自身、大きな衝撃を受けていたのである。

ルネは、十二歳頃まで、たびたびこうした非現実感に囚われた。

ある日、学校で休憩時間に友達と縄跳びをしていたとき、彼女を襲った奇妙な現実感の変容も、そうしたものであった。

 「相手の少女が私の方に向って跳ぶのをみた時、突然私はパニックに襲われました。

私には彼女がわからなくなったのです。彼女だということは目で見て知っているのに、やっぱり彼女ではないのです。

向うの端に立っている時は小さくみえるのに、お互いに近よると彼女はふくれ上がって大きくなるのです」

 それでもルネは優秀な成績で小学校の課程を終え、中学校に進む。

だが、中学でも、非現実感に苦しめられる。

 「私のまわりにいる他の児童達はうつむいて一生懸命仕事をしていましたが、彼らはまるで目に見えないカラクリで動いている、ロボットか操り人形のようでした。

教壇の上では先生が話をしたり、身振りをしたり、字を書くために黒板を上げたりしていましたが、それもまたグロテスクなびっくり箱の人形のようでした」

 ルネのケースのように、離人症は統合失調症の前触れとして見られる場合もあるが、うつ病や他の解離性障害、PTSD、パニック障害、物質乱用にともなって出現することも多い。

他の精神疾患によらずに離人症が出現するものを「離人性障害」とよぶ。

次のケースは、離人性障害の一例である。

大学一年生の青年Bは、自分の人生がすっかり行き詰まってしまったと感じて、医療機関を受診した。

Bはきちんと大学に通い、講義も受けていたが、毎日が苦痛だと言った。

Bの悩みは、生きている実感も感情も感じられないことであった。

何もしていても、喜びや楽しい感情もなく、自分という存在さえ幻のような気がするという。

それは、ことに大勢の人が集まっている場所にいると強まった。

Bは同級生が集まって会話しているところに、入っていくことができなかった。

そうしようと努力したこともあったが、他の学生と自分との間に見えない膜のような隔たりを感じて、自分が別世界の人間のように浮いてしまうのだ。

すばやいテンポで繰り広げられる会話は、Bには外国語でやり取りしているように感じられ、Bが口を差し挟む暇を与えなかった。

彼らの立てる笑い声は、Bには意味不明の咆哮ようにしか聞こえなかった。

Bはいたたまれない思いを押し殺し、笑う振りをして、周囲に合わせていたが、何が面白いのかBには理解できなかった。

話しかけられても、何も感じないので、言うべき言葉が頭に浮かばなかった。

いや、本当に感じていることを相手に言ったとしたら、相手は怪訝な顔をするだけだろう。

そんな調子のため、親しい友人もできず、孤立していくばかりで、大学での新生活に少しは期待していたBは次第に希望を失っていったのである。

中学時代までのBは、元気で友人も多く、成績も良かった。

ところが、第一志望の進学校にぎりぎり合格できたことが、高校に入ってから裏目に出ることになる。

まわりは自分より優秀な連中ばかりで、自分の能力のなさを痛感させられることになる。

中学時代は、上位だったBの成績は、最下位付近をうろうろすることになる。

「それまでは、そこそこ自分に自信をもっていたが、劣等感の塊になってしまった」。

しかし、両親の期待は大きく、彼は大学進学を目指して頑張るしかなかった。

そんなときだった。

彼は体育館で朝礼をしているとき、奇妙な感覚に囚われる。

自分がここにいることが、確かに感じられなくなり、自分がどこにもいないように思えたのである。

周囲に並んで立っている生徒たちも壇上の教師も、そこに何のためにいるのかわからなくなり、映画の撮影に集まったエキストラか何か悪ふざけをしているように思える。

そうした現実感がなく感じられるのは、例外的な瞬間だけでなく、普段の時にまで広がっていく。

気がついたら、何も感じず、笑ったことさえなく、ただ毎日ひどい成績をとるために机に向かっている自分がいた。

こうした彼のおかれた状況が明らかになったのは、彼の状態がある程度回復して、自分の気持ちを言葉にできるようになってからであった。

 Bに限らず、離人症は、現代の若者には非常によく認められるものである。

一般人口の七割程度が、なんらかの離人症を経験したことがあるという。

現実感が未熟な子どもや若者では、離人症的体験はより頻繁に起きている。

ヴァーチャルな体験が優位で、現実感を育む機会が乏しい環境で育った若者たちにとって、現実感の意味自体が変化しているとも言える。

だが、現代人の離人症的精神構造は、ヴァーチャル世代の若者から始まったわけではない。

それより以前から、知識人達は、離人症に悩まされ始めていたのである。

「嘔吐」の正体

 フランスの作家で哲学者でもあるジャン・ポール・サルトルの小説『嘔吐』は、主人公のロカンタンの日記という形で、彼の身に起きた奇妙な感覚の変容を描いている。

「なにかが私の裡に起った。

もはや疑う余地がない。

それは、ありきたりの確信とか明白な証拠とかいったものとしてではなく、病気みたいにやってきたのである。

(中略)さきほど自分の部屋に入ろうとしたとき、私は急に立ち止まった。

それはつめたい物が手の中にあって、個性的なものによって私の注意を促したのを、感じたからだった。私は手を開いて眺めた。

私はただ単に扉のノブを握っていたにすぎない。

今朝、図書館で独学者(ロカンタンが知人につけたあだ名。筆者注)が、私に挨拶しにきたとき、彼がだれであるかを思いだすまでに、十秒ほどかかった。

私は見覚えのない顔を、どうにか顔と言えるものを、眺めていたのだ。そしてまた、太い地虫のような彼の手が私の手の中にあった。私はすぐにそれを放した...」

 ロカンタンは、これまで慣れ親しんでいた日常的な光景や事物が、その当たり前さを失い、違和感をもった、見知らぬ物として感じられる体験をするのである。

友達の顔さえ、馴染みのない物体のように感じ、それを、よそよそしく無感情に眺めている。

そして、ロカンタンは、目にする光景に対して、手に触れる事物に対して、「嘔気」を感じるようになる。

その不快さから逃れようと、ロカンタンは性的欲望に身を委ねようと、キャフェを訪れる。

「私は扉の敷居の上に立っていて、入るのを躊躇していた。

そのうちひとつの渦巻きが起こり、ひとつの影が天井を通って、私の前に突きだされたように感じた。

私は漂っていた。あらゆるところから同時に、私の内部に入ってきた光っている靄によって、感覚を失っていた。

マドレーヌが漂いながらやってきて、私の外套を脱がせた。

彼女が髪をひっつめにして、耳輪をつけているのがわかったが、彼女であると認めることができなかった。

私は、耳の方に流れて区切りのつかない大きな頬を眺めていた。頬骨の下のくぼみに、この貧相な肉に退屈しているかのようなふたつの薔薇いろの斑点があって、そのふたつは相当に位置が隔たっていた。

頬が流れた、耳の方へ流れた。そして、マドレーヌが微笑んだ。

 「なんになさいますか。アントワーヌさん」

 そのとき〈嘔気〉が私をとらえた。

私は腰掛けの上に崩折れるように腰を下ろした。

自分がもうどこにいるのかさえわからなかった。……」

 それ以来、その嘔気は、ずっとロカンタンをとらえることになる。

それまでの日常的体験が、親しみを失い、陳腐で奇怪なものに感じられる。

サルトルはそれを日常性によって覆い隠されていた存在そのものに出会う体験として意味づけようとするのだが、精神医学的にみれば、彼を捉えた「嘔気」の正体は、離人症体験であると言える。

離人症と現代人

 こうした感覚は、二十世紀文学、芸術全体がとらえられていた感覚だといっても過言ではない。

この現実に対するよそよそしさは、多くの表現者に取り憑いて、巨大な潮流を作ったのである。

それは、あたりまえに生活し、環境と調和して生きることに亀裂が生じていることでもある。

もはや現代人は、生きるという本能と一体化して、喜怒哀楽することに困難を感じるようになったのである。

それは、過剰な自意識の裏返しだとも言えるであろうし、世界自体があるがままに存在するのではなく、「作られた」よそよそしさを備えるようになったためだとも言えるだろう。

 知識人のこうした悩みは、知的営み自体が、ある部分ヴァーチャルで仮想的な操作と不可分であることと多いに関係しているように思う。

知性を司る大脳皮質と本能を司る皮質下の大脳辺縁系などの器官の間に、不均衡が生じているとも言えるだろう。

皮質が膨張しすぎた人類の脳は、「離人症」を不可避的に背負うことになったのである。

大脳皮質の外延装置と言える情報処理システムの巨大なネットワークの中で生きることは、さらにこの不均衡を強める結果となり、現代人の離人症的な精神構造に拍車をかけている。

現実感の回復

 離人症の治療では、背景疾患がないかを見極めることが必要になる。

統合失調症に伴う離人症では、不気味さや恐怖感が強く、しだいに妄想気分や妄想を伴うようになる。

 臨床的に出会う離人症では、うつ状態や心的外傷に伴うものが多い。

極度の疲労や睡眠不足は、離人症状態を引き起こしうるが、うつ状態に伴う離人症も、神経伝達物質の枯渇により、生き生きとした感覚や感情が感じられなくなった状態と考えられる。

うつ状態を伴う離人症では、うつ状態を治療すれば、自ずと離人症状も改善する。

治療に対する反応性も非常にいい場合が多い。

ただし、脳腫瘍やてんかんにともなって離人症が出現することがあるので、こうした可能性を否定する必要がある。

 一方、離人症性障害では離人症が中核的な症状であり、根本的な改善にはかなり時間がかかるケースが多い。

ただ、この場合も、離人症のため社会生活が心から楽しめず、疎外感や孤立感を味わいやすく、多くはうつ状態や強い不安を伴っていて、これらの症状を改善することで、だいぶ生活が楽になる。

 心的外傷がからんでいるケースでは、安心感とともに十分に受容され、外傷体験が無理なく語られ、本人の人生に統合されるにつれ、凍り付いていた感情も、しだいに蘇ってくる。

本人の主体性が無視され、強制的に望まないことをさせられていたようなケースにも、離人症が慢性的に持続することがある。

こうしたケースでは、主体性の回復が何よりも重要となる。 

一過性の離人状態は、多くの人に見られるものである。

ことに子どもでは、自我と世界の関係がまだ不安定で、現実感も揺らぎやすく、離人状態も出現しやすい。

先にも述べたように、一過性の離人症は約七割の人にみられるといわれている。

女性に二倍多くみられる。


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この記事を書いた人

香川県出身。東京大学哲学科中退。京都大学医学部卒業。2013年岡田クリニック開院。山形大学客員教授として、研究者や教員の社会的スキルの向上やメンタルヘルスにも取り組む。

著書に、『アスペルガー症候群』『ストレスと適応障害』『境界性パーソナリティ障害』(幻冬舎新書)『パーソナリティ障害』『働く人のための精神医学』(PHP研究所)『愛着障害』(光文社新書)『母という病』(ポプラ社)など多数。

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