視線を合わさない子 自閉性障害
『わが子ノア』は、自閉性障害をもつ息子ノアと父親の悪戦苦闘の日々をえがいたドキュメンタリーである。
ノアは一歳頃まで一見普通に発達しているようだった。
徐々に発達の遅れがみられ始める。首が座ったのは四ヶ月を過ぎてからであった。
話しかけても、ノアが目を合わせようとせず、何の反応も示さないことに、両親は不安を抱き始めていた。
這い這いや歩行の開始も遅く、動きが不器用だった。ことに言葉は、二歳になっても、ほんの二、三語しか喋らない。
診察の結果、自閉症という診断が下されたのだった。
自閉性障害は、生後まもなくから、他者とふれ合い、交流する能力の発達がうまくいかないことを特徴とする状態で、言語的なコミュニケーションだけでなく、視線や表情や身振りや身体接触による非言語的なコミュニケーションにも障害がみられる。
かつては、かなり大きくなるまで、障害の存在に気づかれないということも多かったが、最近では、検診時のチェックや知識の普及により、親側から医療機関や相談窓口を訪れ、早期に診断されるケースが増えている。
脳は年とともに可塑性が小さくなっていく。
自閉性障害を初めとする発達障害においては、早い段階で障害を発見し、できるだけ早期に、適切な療育を開始することが、発達を助け、後のトラブルを防ぐことにもつながる。
また、親側にも育児支援やカウンセリングを行うことで、親が余裕を回復して、ある程度の見通しをもって育児に取り組めるようになる。
逆に、親が精神的に追いつめられると、それは結局子どもにも悪影響を及ぼしてしまう。
症状と早期発見のマーカー
自閉性障害を診断する場合、血液検査をしたり、脳の断層撮影をしたりして診断するわけではない。
対人関係や遊び、コミュニケーション、運動や言語の発達などから総合的に判断するわけである。
ことに診断の上で、ポイントとなる目印(マーカー)が知られている。
ゼロ歳の段階で多く見られるのは、反応が乏しいということである。
話しかけても、そっぽを向き、関心を示さない。抱っこを自ら求めることもない。抱っこしようとしても、自分から体を預けてこないので抱きにくい。視線を向けてこない。などが、よく見られる特徴である。
また、運動機能の発達の遅れも伴いやすく、首据わり、這い這いや歩行の開始が遅れることが多い。
一歳になると、母親を追い求め愛着行動が始まるが、自閉性障害では愛着行動が乏しく、むしろ一人でおいておかれる方が機嫌良くしていたりする。
「手がかからなかった」という言葉はよく聞かれるものである。
一歳児では、ほしい物や相手に見せたい物と相手の顔を交互にみる動作(合同注意とよぶ)が見られるようになるが、こうした合同注意が認められないことも特徴である。
もう一つ重要な特徴は、言葉の遅れである。通常、この時期には幾つかの単語を喋るようになり、二語文もみられるようになるが、自閉性障害では言葉の遅れが次第に目立ち始める。
中には、中折れ型と呼ばれ、途中まで順調な発達を示していたのに、言葉が出なくなってしまうこともある。
また、一歳の後半から、子ども手近にあるものを動物や車などに見立てて遊ぶようになるが、そうした想像遊びも見られない。
言語とともに発達する象徴機能の発達が遅れるためと考えられる。
二歳の段階では、言語やコミュニケーションの発達の遅れとともに、自閉的な傾向がより明らかになる。
一人で遊ぶことを好み、他人に関わられることをあまりうれしそうにしない。
目を合わせようとせず、他の人がいても、まるで一人だけ別の世界にいるようである。
その一方で、偏った興味や固定化した行動様式が見られ始める。
それを邪魔されると、癇癪(パニック)を起こして、大騒ぎになったりする。
三、四歳になると、先に述べたことに加えて、集団へ入っていけずに、孤立的に行動してしまうという傾向が顕著になってくる。
言葉の遅れも、よりはっきりしてくる。約半数は、自分から話すことをせず、相手が言う言葉をただオウム返しに繰り返す(言語反響と呼ばれる)だけのことも多い。
話し言葉の遅れに比べて、読み書きや計算はむしろ優れている場合もある。
これらの問題が見られる場合には、早めに専門家や保健師、発達障害者支援センター、児童相談所などに相談することをお勧めする。
自閉症の世界
自閉症の子ども(あるいは、大人も)の世界は、そうでない存在とは違うルールと原則をもった世界だともいえる。
その特性が理解できずに、一般の子どもと同じ感覚で接してしまうと、パニックを引き起こし、強い警戒心を与えてしまって、その後に傷痕を残すことにもなりかねない。
そうならないためにも、自閉症の世界とはどういうものかを知っておいてほしい。
- 意味理解の乏しさと混沌とした世界
自閉性障害の人では、言語的な理解力が非常に乏しい。
ごく簡単な言葉でも、早口で言われたり、いくつものことを同時に言われたりすると、実際にはまったく理解できていないことが多い。
熱心なお母さんが一生懸命、本人に言い聞かせているのだが、本人の方はただ叱られている、お母さんが怒っているとしか思っていないこともよくある。
ことに抽象的な意味や関係性の意味を理解することが苦手である。
たとえば、肩を触られて、それが、親しみや励ましの意味をもつということがわからず、脅かされたと感じてしまう。
人は世界を、事物や行為そのものとしてではなく、関係性における意味として理解している。
それが苦手な自閉性障害の人にとって、世界はとても混沌として、予想のつかないことが襲ってくる、脅威に満ちたところと感じられるのである。 - 狭い指向性と未分化な知覚
自閉性障害の人は、とても知覚が鋭敏である。ことに、音に対してとても神経質である。
時計の音や些細な物音を気にしたり、微かな風景の変化にも注意をとめる。
言葉はまったく会話にならないのに、上手に歌を歌ったり、聞き覚えで楽器を演奏したりすることもよく経験することだ。
だが、その一方で、感覚が麻痺しているとのか思うほど、鈍感な一面を示すこともある。名前を呼んでもまったく気づかなかったり、痛みに無頓着だったりする。
一見正反対に見える二つの現象は、自閉性障害の人が、指向性の高いマイクロフォンのように、感覚の知覚においても、狭い指向性をもつことによると考えられる。
そうした狭い指向性とともに、彼らの知覚には、一種の警戒システムとして背景雑音を拾う仕組みがあるようだ。
そこでは、「無様式知覚」とよばれる非常に未分化な知覚が働いており、視覚とか聴覚とか触覚といった区分の曖昧な感覚を気配のように感じ取っている。
それによって、安全であるかないかを見分けているのである。
ドナ・ウィリアムズという女性の書いた『自閉症だったわたしへ』には、両親か言い争う傍らで、自閉症の少女がどんなふうに、そのやりとりを聞いていたかが書かれている。
「母が口を開くと、いつも部屋中が震えた。わたしは、ことばそのものは聞いていなかったかもしれない。だが、ことばの向こうの気配や人の心の声は、聴こえていたのである。」
しかし、こうした指向性の狭さや未分化な知覚様式は、危険を回避する上で不利な面をもつ。
人は次に起こることを予測しながら行動しているが、知覚範囲が狭いということは予測しない出来事が起こりやすいということである。
また、危険でないものを危険と受け留める錯誤も起こりやすくなる。 - 心の理論の欠如と自他の混乱
自閉性障害の人では、相手の立場と自分の立場の混同がよくみられる。
自分が何かを食べたいときに、「ママ食べたい」と言ったり、「上げる」「くれる」の使い方が逆になってしまう。
相手の立場にたって、気持ちや行動を推測するということがむずかしい。
自分という座標軸だけで考えてしまうのである。
「サリーとアン課題」と呼ばれるシナリオを使った検査がある。
サリーが、カゴの中におやつを入れてやってくると、おやつをこっそり箱の中に隠した。
サリーが立ち去ったあと、アンが現れて、おやつを別に箱に移した。
そこへ、サリーが戻ってくるのだが、はたして、サリーはどちらの箱を開けるでしょうというのである。
子どもたちに問うと、幼い子どもでは、移し替えた方の箱だと答える。
年齢が上がるにつれて、最初に隠した方の箱だと答えられるようになる。
その境目が四歳だと言われている。
ところが、自閉性障害のある子どもでは、四歳より大きくなっても、おやつが実際に入っている方の箱だと答えてしまうことが多い。
話の文脈の中で、その人の立場に立って、心の動きを推測するということが苦手なのである。
他者の立場にたって、その気持ちを推測する機能を「心の理論」という。
心の理論が発達することによって、他者への共感や配慮も可能になるのであるが、この障害があると「心の理論」の発達がうまくいかないのである。 - 具体性志向と象徴機能の乏しさ
自閉性障害では、言葉の発達の遅れにみられるように、具体的な事物ではなく、それを置き換えた概念を扱うということができにくい。
それは抽象化する能力の乏しさや象徴を用いる能力の乏しさともつながっている。
したがって、一般化した言い方や表現は、自閉性障害の子どもには理解しにくいことが多い。
できるだけ具体的な言い方で、事物に即して説明して上げる必要がある。
その一方で、具体的な事物自体に対する観察力や記憶力が桁外れに優れていることもある。
一目見ただけの風景を、写真のように記憶して絵に描くことができたり、一度耳にした音楽を、鍵盤の上で再現したりする。 - 強迫性とパニック
このように、意味が理解できず、混沌とした世界に暮らしている自閉性障害の子どもたちは、どうやって自分の安全感を確保しようとするのだろうか。
その重要な手段が、同じ行動様式を守り続けるという方法である。
映画『レインマン』でダスティン・ホフマンが演じた青年のように、自閉性障害の人は固定的な行動パターンに強くこだわる。
それが、邪魔されると混乱し、ついにパニックに陥る。
この強迫性が、集団や社会への適応の足を引っぱることになる。自閉性障害の人がパニックを起こしやすいのは、強迫性だけでなく、先に述べた意味理解が苦手なことや狭い指向性にもよる。
パニックを防ぎ、適応力を高める
自閉性障害において、周囲が一番困るのは、ときどき予想のつかいない行動をとったり、パニックを起こすことである。
パニックが起こりやすいのは、前項で述べたような理由によるので、それを防ぐためには、その子の世界のありようを理解して、安全感を急激に脅かさないことが基本である。
指示や規則はできるだけ具体的なしかたで、絵や図を使って示すのが効果的である。
一度にいくつものことを言わずに、短い言葉で一つのことを伝えるようにする。
互いの間で一定のルールを作っていくことで、生活をスムーズにできる。
また、予想のつかいない行動が起こりやすいのは、狭い関心や視野にとらわれ、周囲の状況や意味を理解しないままに、行動してしまうためである。
ボタンを押すのにこだわる子では、非常用のボタンを目にすると押してしまったり、欲しい物や触りたい物があると相手に断りもなく手を伸ばしたり触れてしまい、トラブルになるということもよくある。
そういう場合に叱りすぎることは逆効果で、固執させることになる場合もある。
安心感や愛情の不足がそうした行為を助長している場合も少なくないので、むしろ、その行動自体に焦点を当てるよりも、その子を脅かしている背景的な要因をさぐり、その点を改善した方がよい結果がみられることが多い。
【データ】
有病率は、およそ千人に一人の割合とされるが、近年増加傾向にある。四分の一の症例に、てんかん発作がみられる。てんかん発作の出現は青年期に多い。
【症状の類似する疾患】
同様の症状を示すものとして、レット障害、小児期崩壊性障害、アスペルガー障害がある。
レット障害は、生後五ヶ月までは正常に発達し、運動や対人的関心においても正常な発達が途中までみられるものの、生後一年目以降、一旦発達した機能が失われていくものである。
小児期崩壊性障害は、さらにもっと後まで正常な発達を遂げた後(二歳以上十歳以下、多くは三、四歳)、言語や対人関係、運動、排泄などの機能を失っていくものである。
アスペルガー障害は、次の項で取り上げるが、言語発達の遅れや認知機能の障害がなく、より高い社会適応性を示す。
頭はいいけど、言葉のキャッチボールが苦手 アスペルガー症候群
自閉症スペクトラムの中で、知能や言葉の発達に問題がないタイプをアスペルガー症候群と言う。
特定の領域に関心が深く、知識も豊富だが、自分の興味のあることを一方的に喋るばかりで、双方向のコミュニケーションがとれないのが特徴だ。
こだわりの強さや、対人関係での不器用さ、しばしば体の動きや手先の不器用さも伴う。
ひきこもりの青年
母親に暴力を振るったり、物を壊したりするために、家族とともに医療機関の外来を受診した青年Eは、骨張った顔をうつむかせ、こちこちに緊張していた。
体の動きや表情、声の発し方が、どこかぎこちなく機械仕掛けのような印象を与える。
質問には丁寧だが、教科書でも読むような一本調子な口調に答える。
ところが、母親が口を挟むと、荒々しい言葉を投げつける。
高校を中退したまま引きこもった生活をしているという。
だが、まったく家から出ないわけではない。
大の鉄道マニアで、珍しいSLが走ると聞けば、北海道の方まで写真を撮りに出向いていく。
鉄道や電車の知識は常人離れしていて、「歩く時刻表」さながらに、細かいダイヤまで記憶していた。
最近は、パソコンに熱中していて、パソコンの知識は玄人はだしである。
仮死分娩で誕生。体が弱かったこともあって過保護に育てた。
小さい頃から人見知りの強い方で、新しい環境に馴染むのに暇がかかった。
他の子と遊ぶより一人で図鑑を眺めたり、ブロック遊びをしたりするのが好きだった。不器用で、逆上がりがなかなかできなかった。
球技のようにチームでする運動は特に苦手で、ドッジボールは一番厭だった。
絵を描くのは好きだったが、定規を使わないと線が引けなかった。
小学時代は友達が何人かいたが、一緒に遊んでいるときも、TPOに関係なく、自分の言いたいことを一方的に叫んでいるという感じだった。
中学校になると、友達がいなくなり、学校が面白くなさそうだった。
得意だった社会や理科も、段々ぱっとしなくなった。
不良グループからいじめを受け、中二の途中から学校を休むことが多くなった。
何とか高校には進学したが、興味のあること以外一切しなくなり、結局落第したのを機に辞めてしまった。
それから、ずっと引きこもった生活が続いているという。
細かい規則がいろいろあり、その通りに家族がしないと、立腹して荒れる。
心配性の母親が、本人にアドバイスしようとすると、血相を変えて怒る。
ときには、暴力を振るってくる。
母親は息子がどうしてこんなことをするのか、さっぱりわからないと涙ながらに訴える。
だが、母親以外の前では、借りてきたネコのように大人しい。
ここに紹介したE青年のようなケースも、①相互的コミュニケーションや親密な対人関係を築くことの障害と②柔軟性に欠けるこだわりや限局性の興味を特徴とする「アスペルガー症候群」の典型的な一例である。
こだわりが強く、コミュニケーションが一方通行になりやすいので、誤解や摩擦を生じやすい。このケースのように、学校や職場にうまく適応できずに、引きこもる場合もある。
支配的で過保護な母親が、本人に口出しを続けると、十代後半くらいから家庭内暴力が見られることも少なくない。
アインシュタイン・タイプ こだわりと集中力を生かす
アスペルガー障害は、学者や研究者にも多いと言われている。
こだわりや限局性の興味も、うまく生かされれば優れた能力となりうるのだ。
余計な対人関係のない、業績だけに重きをおく世界は、このタイプの人にとって好都合だといえる。
ニュートン、アインシュタイン、エジソン、ビル・ゲイツらにも、アスペルガー障害が推測されている。
特性の理解が最大の支え
接し方の基本は自閉性障害のところで述べたことが、アスペルガー症候群についても概ね当てはまる。
アスペルガー症候群の場合の違いは、自閉性障害とは異なって、自発性がむしろ高い場合があることだ。
こうしたタイプは「積極奇異型」という名で呼ばれることもある。
このタイプでは、よく喋って、積極的なので、一見「自閉症」的でないように見えるが、よく観察すると、相手かまわず一方的に、自分の興味のあることばかりを喋っていて、本当の意味でのコミュニケーションは成り立っていない。
自分の知識を一方的にひけらかしたり、相手の気持ちに無頓着に、考えていることをそのまま口に出してしまったりする。
そのため、反感や誤解を受けやすく、周囲からも浮いてしまい、いじめのターゲットにされやすい。
そうした体験は、対人観を非常に悪いものにし、その後の社会適応に深刻な影響を及ぼすことも多い。
そうした弊害を防ぐために、もっとも重要なことは、周囲が本人の特性をよく理解して接するということである。
また、本人自身の中にも自分の特性や陥りやすい傾向を、徐々に理解して、修正できるように導いていくことが大切である。
本人が問題意識を自分なりの課題として理解するようになると、行動面で大きく改善がみられる。
また、本人を受けいれてくれる集団の中での体験は、共感性の発達を促し、他者への配慮や思いやりを学ぶ機会を与え、大きな成長を生む。
青年期になると、恋愛問題などで、相手の気持ちと無関係に行動してしまい、トラブルになることもある。
こうした点についても、本人が信頼する存在が、適切なアドバイスを行い、自分の陥りやすい落とし穴を自覚することによって、改善していくことが多い。
【用語について】
アスペルガー障害は、オーストリアの内科医ハンス・アスペルガーが一九四四年に「自閉的精神病質」として初めて記載したもので、現在では、アスペルガー障害は、広汎性発達障害のうち、言語的な発達の遅れや認知機能の障害のない、もっとも高い機能をもつものをさす。
広汎性発達障害のうち、知的障害がない(IQ七十以上)ものを、「高機能広汎性発達障害」という言い方もする。
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