【発達の問題】ADHD

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落ち着きのない子 ADHD

子供とは、大体元気で落ち着きのないものである。

「今から、大人しくてどうするんだ」とか、「大人しい方が、心配だ」という一方で、やはり学校に行くようになっても、ちっとも机の前にじっとしていられなかったり、勉強に上の空だったり、忘れ物ばかりしているのを見ると、段々心配になってくるものである。


ただ、子供は発達の途上にある存在である。日々、心も体も、そして脳も成長を遂げているのである。

実際、元気で落ち着きのない子供も、年齢が上がるにつれ、いつのまにか落ち着いていき、小学校上学年くらいでは、かなりの割合の子が落ち着いてしまう。

がさがさして教室をうろつき回っていた子に同窓会で会ったら、別人のように温厚で、穏やかな人物になっていたりする。

しかし、中には、年が上がっても、どこかそそっかしく、衝動的だったり、行動的だったりして、昔の悪戯小僧の名残を色濃く留めていることもある。


 子供は、十人十色の発達を遂げるのであるが、親の方としては、子供の行動に「こんな悪いことをして」とショックを受け、兄弟や余所の子と比べてつい不安になり、この先どうなるのだろうかと気を揉むものである。

ましてや、先生から「困っています」と言われたりすると、親はすっかり焦り、ときには悲観してしまう。

星の王子さまやトットちゃんも

『星の王子さま』や『夜間飛行』の名作で知らされるサン・テグジュペリも、小さい頃は手のつけられないヤンチャ坊主で、暴れん坊であった。

片時もじっとしていられず、騒々しくて、乱雑で、反抗的で、さわる物は何でも壊してしまうか、精々汚してしまう。

余りに悪戯や悪さがひどいので、周囲の者はとても心配したという。

いつも威張り散らしていたので、家族から「太陽王」と呼ばれ、彼の座る指定席の「玉座」まであった。


だが、その一方、好奇心旺盛で、常識的な考え方に囚われない「リトル・プリンス」は、生涯子供の魂を持ち続けたサン・テグジュペリその人の分身でもあった。

サン・テグジュペリ少年が通うことになった修道院付属の学校は、規則が厳しく、彼はまったくなじめなかった。

トラブルばかり起こし、教師の指導にも従わず、すっかり「問題児」とみなされてしまう。


サン・テグジュペリ少年のようなケースは、現在、「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」として理解されている。

ADHDは、多動や衝動性と不注意を特徴とするもので、学童期の数%の子どもに認められる。

頻度から言えば、非常にありふれたものということになる。

男の子に多く、女の子の十倍近い頻度で認められる。


「多動」は、片時もじっとしていられず、動き回ったり、音をたてたり、物にさわったり、他の人に干渉したりする。

「衝動性」は、我慢ができず、自分の思いのままに行動することで、順番を待ったり、人の話を聞いたり、危険なことや場違いなことを後先考えずにやってしまう。

「不注意」は、注意を持続することの難しさとして表れ、上の空で、大ざっぱで、根気がなく、すぐに他のことに気が移ってしまうのが特徴である。

サン・テグジュペリ少年も、典型的なケースだったと言える。


『窓ぎわのトットちゃん』の作者でも知られる、タレントの黒柳徹子さんも、幼い頃、学校になじめなかった。

『トットちゃん』に描かれている少女は、とても好奇心旺盛で、活発で、絶えず周囲に起こっていることに目を奪われているので、授業中であろうと思わず窓の方に駆け寄って、外で起きていることに歓声を発してしまうのだ。

そんな天真爛漫なトットちゃんが、軍国主義式の学校では浮いてしまったのも無理はない。


詩人や作家、科学者や実業家の伝記を読むと、この類の子どもだった人物が、非常に多いことがわかる。

天真爛漫さや活動性、好奇心、常識に囚われない自由な発想といったものは、それがうまく生かされると、大きな美質、長所となるのである。

脳の発達と心の問題

ADHDは、現時点の医学では、脳の機能的な発達の問題と考えられている。

行動をコントロールする大脳皮質と下位の脳を橋渡しするネットワークが十分発達していないため、衝動性や多動性を引き起こし、注意を維持し、危険を回避し、合目的的な行動を続けることが苦手になるのである。

馬車に喩えれば、馬と御者はいるが、両者を結ぶ手綱がつながっていなかったり、御者の手綱さばきが未熟で、おまけに居眠りばかりしていたりという状況に似ているだろう。

御者のいない馬は、ニンジンを見れば横道にそれ、そっちの方に突っ走ってしまうのである。



もっと年齢が上がって、大脳皮質と下位の脳を結び合うネットワークが完成してくると、御者の手綱さばきもしっかりしてきて、一貫した行動を、道草を食ったりせずに行えるようになる。

したがって、脳の発達という要素が大きいのである。

その時期をなんとか乗り切れば、段々落ち着いてきて、大部分は自然に収まってしまうのである。


しかし、実際に問題が深刻なケースでは、脳の問題だけというより、むしろ、心の問題がからんでいる。

そして、心の問題とは、子どもの場合、その子が置かれている環境や愛情の問題を映し出したものである。


例えば、サン・テグジュペリ少年のケースで見ても、彼の問題行動を強める要因が、養育や教育の環境にあったことがわかる。


サン・テグジュペリの父親は、戦争で早く亡くなり、母親は父親の忘れ形見でもあるサン・テグジュペリ少年に、すべての愛情を注ぎ込んで大切に育てた。

周囲の目には、それがとても「甘やかしている」ように見えたという。

父親のいない分の愛情を補おうとして、つい行き過ぎるということは起こりがちなことだ。

それをいいことに、サン・テグジュペリ少年は、どんどんわがままをエスカレートさせる。

自分には父親がいないということに気付くにつれ、サン・テグジュペリ少年の心に微妙なねじれを生じ、余計反抗的で乱暴になった面もあったようだ。


 そんなサン・テグジュペリ少年が通うことになったのは、規則の厳しい修道会付属の学校で、その学校で過ごした時期は、彼にとって人生最悪の体験となった。

当然、彼はトラブルを起こし、押さえつけようとする教師に反発して、事態はこじれる一方だった。


 状況が好転したのは、少年の望みを受け容れて、母親がサン・テグジュペリ少年を、まだ新設されたばかりの、もっと自由な空気の学校に転校させてからだった。

彼はそこで、導き手となる教師に出会い、生活も落ち着くと同時に、文学にも目覚めて、詩や短編小説を書くようになる。


「トットちゃん」の場合も、お母さんが、問題の所在が本人よりも、むしろ環境との不適応にあることを見抜いて、素早く的確な対応をとったから、問題をこじらせることなく、本来の長所を伸ばすことにもつながったのである。

恵まれた家庭に多いパターン

落ち着きのない子が、どんどん問題を膨らませるというケースは、一見もっと恵まれた家庭においてもみられる。

そうしたケースも、少し踏み込んでみると、子どもの気持ちがないがしろにされている状況が明らかになってくる。


坂道を転がり落ちないためにADHDだけがあっても、ほどよい厳しさと十分な愛情でもって、本人を大切に見守っていけば、大抵はいい方向に落ち着いていくものである。

十歳で落ち着く子から、もっと時間がかかる子までいろいろだが、ある時期がくると別人のように成長していく。


 ところが、変な方向にこじれてしまうケースは、必ず愛情や養育に歪みを抱えている。

もっとも典型的なのは、この二つのケースでもみたように、愛情不足や押さえつけ、虐待がある場合と、過保護や甘やかし、過大な期待がある場合である。

このどちらも、純粋な天使のような子どもを、冷酷な悪魔のような存在にしかねないのである。


 ADHDの子どもの一部は、親や大人に対して反抗的な態度をくり返す「反抗・挑戦性障害」(ODD)に移行すると言われる。

さらに、その一部は、非行を繰り返す「行為障害」(CD)に移行する。

このように「破壊性行動障害」(DBD)が悪い方に進行することを、「DBDマーチ」と呼ぶが、将来そうした事態にならないためにも、愛情と厳しさの両方を忘れずに、子どもに接することが大切である。(非行については、後の章を参照)

「診断」の功罪

「トットちゃん」のように、注意が散漫で、落ち着きのない子も、現代の診断基準では、ADHDが推定されるのだが、そうした「診断」には、どこか身も蓋もない感じがつきまとう。

発達途上の子どもの「診断」は、諸刃の剣となりうるのである。

問題が紛糾して、どう対処すればいいのかわからないようなときに、その問題に「診断」を与えることは、その子の理解が得られやすくなり、対処の仕方や方針がはっきりして、安心感や改善効果をもたらす一方で、「診断」が、絶対不変のもののように強く作用し過ぎると、かえって自然な成長を妨げてしまう危険もある。


 サン・テグジュペリやトットちゃんの例からもわかるように、仮にADHDという「診断」がつけられるにしろ、それは、その子のごく一面的な特徴や問題点を表しているのに過ぎない。

その子の豊かな個性全体から見れば、ADHDという「診断」は、ごく一部を表す、しかも一時的ものでしかないのだ。

子供は絶えず成長し、変化していく。余り固定的にとらわれすぎずに、その子自身を見て上げることが大切だと言える。

それに、こうした診断名自体が、十年もすれば、変わってしまっている可能性も高いのである。

【サブタイプと予後】

注意欠陥/多動性障害には、不注意が目立つ「不注意優勢型」、多動や衝動性が目立つ「多動性・衝動性優勢型」、両者が混じった「混合型」がある。

「不注意優勢型」では、受動的な対人関係を示しやすい。

「多動性・衝動性優勢型」では、無鉄砲な行動が目立ち、ケガや仲間はずれに遭いやすい。

「混合型」では、学業成績などがもっとも低下をきたしやすく、破壊的行動障害に発展しやすい。

年齢とともに改善する場合、多動性や衝動性がまず改善し、不注意は年齢が上がっても症状が残りやすいとされる。

乱雑で、片づけが苦手で、始終忘れ物をし、あれこれ手をつけるが根気がなく、上の空になることがよくある人は、もしかすると、昔、このタイプの子どもだったのかもしれない。

ただし、大人になってから、回想だけで「診断」するのには慎重でなければならない。

【データ】

 有病率は、学齢期の子どもで三~七%とされ、男子の方が圧倒的に多い。

IQには大きなバラツキがあり、非常に低いものから、天才的なレベルの知能をもつものまで幅広い。

虐待やネグレクト、脳炎などの感染症、妊娠中の薬物摂取などがみられる場合がある。

出生児の低体重とADHDは無関係とされるが、個々のケースでみる要因が推定される場合もある。

その場合は、成長とともに、改善するので、気長に見守ることも大事である。

【症状の類似する疾患】

 落ち着きのなさや不注意を示しやすい他の主な障害としては、知的障害、学習障害、広汎性発達障害がある。

これらとADHDが合併していることも少なくないが、知的障害、広汎性発達障害がある場合には、通常、ADHDの診断は付加されない。

学習障害は、次項に出てくるように特定の学習(たとえば、算数や漢字)にだけ支障がみられるものである。

【対応と治療のポイント】

本人への接し方

  • 本人を受け止め、悪循環を断つ
    トラブルを頻発させることで、周囲から否定的に扱われ、どんどん劣等感や対人不信感を募らせるという負のスパイラルに陥っている。
    また、このタイプの子では言語化して自分の気持ちを言う能力が乏しい。
    そのため、行動で周囲を振り回すことにもなりやすいのである。
    まず、本人の特性を理解し、その気持ちを受け留め、自分をわかってもらえている、認めてもらえるという安心感を回復することが第一である。

  • 本人に考えさせる
    このタイプの子の場合、叱りすぎに陥りやすい、むしろ、少しでも頑張ったことを認め、褒めることを増やすこと重要だ。
    ただし、いけないことはしっかりと叱れることも大事だ。メリハリのある対応が求められる。
    叱る場合、感情的になったり、体罰を与えて思い通りにさせようとするのではなく、本人に何がいけないのかを考えさせ、語らせるようにするのが成長を促しやすい。
    子どもだけの問題とするのではなく、親やかかわる大人の問題としても受け留め、ともに悩み、ときには一緒に悲しむことが、本人に気持ちを切り替えさせるきっかけとなる。

  • 成長したい思いを引き出す
    自分に対して自信をなくし、周囲を困らせる方向で自分を示すようになるのは、非常に痛ましいことである。
    だが、そうした子も、本当はもっと前向きな形で自分を発揮したいのである。
    その子が望むことを試みてみたり、その子の得意なことを伸ばすことで、状況が変わることは多い。
    その子の成長したい思いを引き出すことで、大きな変化が生まれるのである。

薬物療法

 知能や脳波に問題がなく、生活や学習面での支障が大きい場合には、薬物療法の対象になるが、近年、その傾向が認められるという程度で、きちんとした発達検査も行なわず、問診やチェックリストの検査だけで、薬物の投与が行われるケースが急増しいる。

明らかに過剰診断や誤診のケースも、多く経験している。

成長に影響したり、依存性の問題もあり、長期間に服用が及ぶことが多いので、慎重な判断が必要だろう。


 これまでの研究で、短期的には効果が認められるものの、長期的には、行動療法や通常の対応に比べて、特別な優位性は認められないという結果が示されている。

むしろ予後を左右していたのは、家庭環境や本人にあっ道に進めたかといったことであった。

家庭環境や両親の夫婦関係に問題がある場合には、一時的に改善しても、一年後以降急激に崩れてしまう傾向がみられている。


 薬で症状を抑えていても、その効果はいつまでも得られるものではなく、その間に、本人へのかかわり方や本人に適した居場所を作れるかどうかにかかっているということを心得ておいたほうがよいだろう。

周囲の理解と環境調整

 家庭や学校で居場所がなくなっている場合、本人の問題を説明し、周囲に理解をもってもらうことが非常に重要である。自分が受け留められていると思うだけで、方向が変わりやすい。


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この記事を書いた人

香川県出身。東京大学哲学科中退。京都大学医学部卒業。2013年岡田クリニック開院。山形大学客員教授として、研究者や教員の社会的スキルの向上やメンタルヘルスにも取り組む。

著書に、『アスペルガー症候群』『ストレスと適応障害』『境界性パーソナリティ障害』(幻冬舎新書)『パーソナリティ障害』『働く人のための精神医学』(PHP研究所)『愛着障害』(光文社新書)『母という病』(ポプラ社)など多数。

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