拒食症(神経性無食欲症)
拒食症(正式には神経性無食欲症)は、自分が太っているという思い込み囚われ、平均より痩せているのに、もっと痩せようとする病気である。
拒食症の人は、他人から見ると、骨と皮のように痩せていても、まだ自分は太っていて、もっと痩せたいと思ってしまうのである。
ある少女は、体重が二十八キロまで減ったことがあった。
それ以上痩せたら、生命の危険があるというラインである。
ほとんど食べないか、食べてもすべて戻してしまう。
鼻からチューブを胃に入れて、液体の栄養を注ぐのであるが、油断をすると、それさえも吐いてしまおうとする。
この病気は、ときに命にかかわることもある。
「イエスタディ・ワンスモア」などナンバーで、今も愛されるカーペンターズは、兄と妹のデュオであったが、ボーカルを務める妹のカレン・カーペンターは、拒食症に伴う心不全で亡くなっている。
摂食障害は、大きく二つに分けられる。「拒食症(神経性無食欲症)」と「過食症(神経性大食症)」である。
拒食症は、食事量自体を抑制するタイプと、自己誘発生嘔吐により食べたものを吐き戻すタイプがある。
過食症も、無茶食いした後で自己誘発性嘔吐するタイプと、大食だけがみられるタイプに分けられる。
同じ摂食障害とはいえ、拒食症と過食症では大きな違いがある。
この節では、拒食症についてみていきたい。
どんどん体重が減っているのにもかかわらず、食べる量を極度に制限し、吐き戻し続ける拒食症では、自分の体のイメージ(ボディーイメージ)に狂いを生じている。
骨と皮だけになっているのに、まだ太ったら大変だ、やせなければという思いに囚われているのである。
【ケース】 私、そんなに痩せてないです
十八歳の女子高校生は、食欲不振と体重の減少が著しいため、医療機関につれてこられた。
受診時の体重は、三十六キロ。身長は一五六センチ。
頬はこけ、手足は骨と皮で、乾燥したミイラのように皮膚にも生気がない。
生理は半年ほど止まっている。
それにも、かかわらず本人は元気で、明るくのべつ幕なしに喋り続ける。毎朝一時間ジョギングをしているという。
「このとおり元気です。みんな、ちょっと心配しすぎです。私、そんなに痩せてないです」と、にこやかに話す。
母親の話では、食べる物は数種類の食品だけに限られており、それを決まった量だけごく少量食べる。
それ以外に無理矢理食べさせても吐いてしまう。
何事も頑張り屋の努力家で成績も良い。
睡眠時間も短めで、朝早くからばたばたと動き回っているという。
こだわりの強い完璧主義者
このケースのように、拒食症(神経性無食欲症)の人は、理想へのこだわりが強い完璧主義者が多い。
自分では体重をコントロールできると思っていて、「ちょっとやりすぎました」「そろそろ戻さないといけませんね」と、自分の痩せ具合を自覚しているような口ぶりを見せることもあるが、本心では、太ったら大変、もう少し痩せたいという思いが本人を根強く支配している。
そのため、体重は増えるどころか、逆にどんどん減っていくことになる。
四十キロを割った時点で、「少しやばいですね」と言っていたのが、三十五キロになると、「いくらなんでも、これ以上は痩せたくありません」という。
ところが、一週間後には三十キロまでいってしまい緊急入院ということになりかねない。
自分の中の目標が際限なく危険な方向に向かうのを、自分でも止められないのである。
十代半ばから後半に始まり、一度だけの激やせから回復し、そのまま完治する人もいるが、長期にわたることも多い。
食事を抑制するタイプも、途中から吐き戻しがみられるようになるのが普通だ。
低栄養、低体重に加えて、嘔吐や下剤の乱用によって、電解質のバランスが崩れている。
血液中のタンパク質やカリウムが低下していることが多い。
その状態が続くと、子宮や肝臓、脳が萎縮し、骨がすかすかの状態になっていく。
次第に、末期のガン患者のような状態に陥っていく。
生命の危険を生じ、入院を要することもしばしばである。
しかし、十年以上の経過を経て、回復することもある。
ズレを修正する
神経性無食欲症の人では、頭の中に思い描いたイメージと現実にズレが生じやすい。
イメージの方が優先してしまい、現実を無視してしまうということも起こる。
症状が悪化していくと、このズレがどんどん大きくなっていく。
こうした傾向は「ボディイメージの歪み」という言い方で呼ばれるが、このズレは、体のイメージだけでなく、対人関係や勉強、運動、仕事など、すべてに当てはまる。
理想や目標や決まり事が、現実を無視して、独走してしまうのである。
このズレに関して指摘を繰り返す必要がある。
体重を毎回チェックし、また血液検査も適宜行う。
体重計に乗る前に、予想させるのも一つの方法である、自分では太っていると思っているのに、実際は体重が減っていることも多く、本人がズレに気づくきっかけになる。
限界体重以下になるか、血液検査の結果が非常に悪くなれば、入院してもらうことを予め告げておく。
また、これはダイエットではなく、自分でコントロールの利かない病気であること、体重の問題だけに留まらない悪影響についても説明する。
そうした現実をよく伝え、本人が思い描いている理想や人生の計画を妨げることにならないか話し合う。
また、ボディイメージの歪みを修整するため、大きな鏡に自分の体を映して見せる場合もある。
ただし、神経性無食欲症の人は非常に頑固で、自分の思い込みを簡単には変えることができない。
一度に多くの成果を期待せずに、繰り返し伝えているうちに、徐々に浸透していく。
【データ】
二百人に一人の女性が、神経性無食欲症を経験するという数字があるが、若い世代では、それより頻度が上がっていると思われる。
女性は、男性のおよそ十倍なりやすい。
親に、気分障害や強迫的な性格が多くみられるという。
最近の研究では、大脳皮質のセロトニン受容体の結合率が低下していることがわかっている。
セロトニンは不安や強迫性などに関係する神経伝達物質で、セロトニン伝達系の失調が、完璧主義や強い囚われ、不適切な思い込みを引き起こしている可能性がある。
【対応と治療のポイント】
完璧を求める強迫的な性格、太ることへの嫌悪と恐怖、よい子だけしか認めない母親という三条件に、何らかの精神的ストレスや挫折体験が加わって発症しているケースが多い。
したがって、対応の方針は、それらを改善・修正する方向になされなければならない。
食べない、吐くという症状にばかりとらわれると、かえって行き詰まってしまう。
症状となって現れているのは、本人の完璧主義な傾向やこだわりの強さといった根底の問題がしわ寄せしたものであり、それは、親子関係の偏りを反映している部分も大きい。
知らず知らずに親が本人に求めてきたことの結果でもあるのだ。
したがって、本人を変えていくには、本人を縛っている考え方、親との関係や親の本人に対する接し方も変えていく必要がある。
家族の接し方
本人に頑張りや努力を要求する対応や評価はやめ、禁止や命令的な言い方も最小限にする。
目標をどれだけ達成したのかではなく、ありのままの本人でいいのだという気持ちで接する。
こちらの期待ではなく、本人の視点で考え感じるように心がける。
本人の関心や趣味に注意をとめ、さりげなく話題にする。
こちらが喋るよりも、本人の話を聞くようにする。
食事状態について、こと細かに言い過ぎることは逆効果になる。
ドクター・ストップがかかるまでは、大きく見守ることも大切だ。
嘆いたり、否定的な言い方をすることは、かえってこじらせるだけである。
比較的軽症のものでは、周囲の対応が変わるだけで改善が得られやすい。
逆に、いくら精神療法や薬物治療をほどこしても、親子関係に改善がないと、なかなか良くならない。
外来治療
本人の気持ちを受け留め、共感する精神療法的アプローチと、本人の認知の歪みを指摘し、修正する認知療法的なアプローチ、病気の性質や影響について説明する教育的アプローチも行われる。
こだわりの強さを改善し、食事摂取に対する過剰な意識を和らげるために、薬物療法も併用する。
症例によっては、セロトニン系に効果のあるSSRIや抗うつ薬、非定型精神病薬などが有効である。
また、親がよく理解し本人を受け留めることが必要不可欠で、それができないと、治療は足踏みすることになる。
だが、自分の主張や方針を譲らない頑固な家族も多く、家族への指導、家族カウンセリングも重要である。
入院治療
体重が四十キロを割り込み、体重減少が続くケースでは、入院治療も考えなければならない。
長期的な予後についても、入院して積極的な治療を行った方がよいと言われている。
入院治療では、体重、食事量に合わせた行動制限と栄養補給が基本になる。
規定の食事量が摂取できない場合は、鼻腔チューブを用い、胃に直接液体栄養を入れる。
できるだけ時間をかけて入れるのが、嘔吐を防止する上でもよい。
三十分以上は、ベッドで横にならせる。
体重が増えてくると、少しずつ行動制限を緩める。
もちろん、A、Bに述べた治療も合わせて行い、入院を好転のきっかけとする。
過食症(神経性大食症) 食べるという代償行為
もっとも原初的な愛情の形
人は何のために食べるのか。
通常、その医学的な答えは、栄養を得るためだということになるだろう。
だが、過食症(神経性大食症)においては、食べる目的はまったく違っている。
過食症の人が食べるのは、愛情の代わりに、食べ物を口に運ぶのだ。
食べるという行為は、愛情を得るための代償行為なのである。
それは、人が赤ん坊だったときの状態に由来している。
赤ん坊だったとき、オッパイを与えられることは、栄養を与えられるだけでなく、愛情や安心を与えられることでもあった。
それらは、もともと一つに結びついたものだったのである。
一人の人格として母親から分離と自立を遂げる中で、食べることと愛情や安心をもらうことは、別々の行為として分化していった。
だが、分化が十分でなかったり、安心感が損なわれる体験をしたりすると、人は幼かった頃の状態に戻るのである。
実際、過食症の人が過食するさまは、オッパイを貪る行為を思わせる。
胃袋が一杯になるまで食べ続けるとき、乳を貪る幼子のように、他のことは何も見えていないかのようだ。
過食症が、愛情飢餓を抱えた境界性パーソナリティ障害に合併して見られやすいのは、以上のことを考えれば、納得がいくだろう。
食べることの依存症
過食症は、寂しさや愛情飢餓を、食べるというもっとも原始的な欲望を過剰に満たすことで代償しようとする。
食べる行為にブレーキがかけられない状態は、食べることへの依存症だとも呼べる。
実際、過食症の人の食べたいという欲求は、薬物を求める欲求に劣らないくらい強い場合もある。
依存は、他のものにも広く及び、買い物やギャンブル、万引き、恋愛などに耽溺するケースも少なくない。
過食症、依存症、境界性パーソナリティ障害の三つは、現代の若い女性がもっとも陥りやすい問題の取り合わせだと言える。
過食症には、自己誘発性嘔吐を伴うタイプと伴わないタイプがある。
自己誘発性嘔吐を伴う場合は、過食症でありながら、体つきはほっそりとしている。
嘔吐により胃液が失われるため、体液がアルカリ性に傾き、皮膚や顔色が不健康な印象を与える。
ただ、拒食症のように骨と皮の状態になることはない。
過食行為は、薬物中毒の患者にとってのドラッグ・パーティやマリファナ・パーティと同じような快楽の饗宴である。
今日は過食をしようと思うと、心はひそかに期待と興奮を覚える。
しかし、終わった後に、後悔と自己嫌悪が襲ってくる。
自己誘発性嘔吐を伴わないケースは、当然体重増加を来すが、過食の時期とダイエットをする時期を繰り返すことが多い。
体重を減らすために、下剤や利尿剤の乱用もみられる。
【ケース】 赤ちゃんからやり直したい
高校一年生のK美は、過食と嘔吐、不登校、母親への暴力のため、医療機関に両親と相談にやってきた。
通っている高校は、地元で有名な進学校である。
ぽっちゃりとした体型で、体重減少はあまり目立たない。
他人に対しては、礼儀正しく振る舞うが、親が何か発言すると、激した口調で食ってかかる。
小学校時代は、勉強、エレクトーン、英語など毎日のようにお稽古ごとに通い、いかにも教育ママという印象の母親がつきっきりで教えていたという。
その甲斐あって、成績は小中とも優秀で、エレクトーンも全国大会に出場するほどの上達を示していた。
しかし、中三頃から、成績はやや頭打ちの傾向がみられ、高校にはいると、真ん中より下の方に下がってしまった。
これまで上位にいることに慣れていたK美は、すっかり自信をなくしたようだ。
勉強にも以前ほど意欲がわかなくなった。
二学期頃から学校を休むようになり、三学期に入ってからは一日も行っていない。
昼間は寝ていて、夜中に起き出すと冷蔵庫の中の物を全部平らげてしまう。
その後で、ゲーゲーいいながらトイレにこもっている。
注意すると、母親に暴言を吐き、暴力を振るってくるようになった。
母親は、小学六年生の弟が受験をするため、このところ、弟の方にかかりきりになっていた。
母親は、志望校に入ったので安心し過ぎたのかもしれないと話す。
父親は大企業に勤めるサラリーマンで、仕事が忙しく、娘の教育は母親に任せきりだったので、反省しているという。
K美は、「母親の言うとおりに頑張ってきたが、すっかりダメになってしまった。
自分には勉強なんか、最初から向いていなかったのだ。
赤ん坊に戻って、すべてやり直したい」と、怒りと涙を浮かべて話す。
過食することについては、「食べているときだけ、気持ちがほっとする。
これ以上食べれないところまで、食べ続ける。
それから、後悔が押し寄せてきて、吐いてしまう」という。
【データ】
神経性大食症は、神経性無食欲症よりも頻度が高く、若い女性に多い。
神経性無食欲症よりも遅く発症する傾向がある。
若い女性の有病率は1~3%とされる。
【対応と治療のポイント】
過食症は、拒食症に比べると生命的予後は良好であるが、泥沼化すると本人も周囲も次第に疲れ、追いつめられていく。
境界性パーソナリティ障害や他の依存症を合併していることも多く、そうしたケースでは自殺企図や振り回し行為もしばしばみられ、対応や治療は容易ではない。
まず、気長に付き合っていく気持ちで、過食することに過敏になりすぎないことも大切だ。
周囲が監視するような目を向けすぎることは、マイナスである。
背景には愛情飢餓感や寂しさがあり、過食自体をあげつらうよりも、愛情欲求をさりげなく満たす対応が望まれる。
過食をしてしまったときには、自分でも罪悪感を抱いているので、責めるのは逆効果なばかりか、自傷行為や自殺企図などを誘発することもある。
アルコールを大量に飲むのと同じことだと説明し、体にはよくないが、たまにであれば、そう気にすることもないと話し、罪悪感や過剰な意識を和らげるのも一法だろう。
理想へのこだわりや強迫傾向が強いケースも多く、そうしたケースほど、自己誘発性嘔吐を伴いやすい。
食べてもいいから、食べたら責任をとって吐かないこと、吐くのは責任逃れと話すやり方もある。
SSRIなどが、こだわりを和らげ、過食や嘔吐のコントロールを助けることもある。
対応や治療に際して、境界性パーソナリティ障害や物質依存のところで述べた原則がほぼ当てはまる。
過食自体を問題視し、コントロールさせようとしても、あまり効果はない。
背景にある問題やストレスがましになれば、自然におさまっていく。
そして、大抵、その背景にあるのが親子関係や愛情の問題である。
本人の子供時代のある時期、母親自身が不安定だったり、病弱だったり、他の問題で気がそぞろであったという愛情剥奪がみられることも多く、その傷を現在まで引きずっている。
治療者が親の肩代わりをしつつ、親子関係の改善を図っていくことになる。
自己誘発性嘔吐が激しいケースでは、神経性無食欲症の治療に準じ、程度が著しい場合には、入院治療の対象になる。
食事量を予め制限することで、吐かないと体重が増えるという不安を軽減する。
食事後一定時間は、トイレにいかないことを目標にし、スタッフと談笑したり、気持ちを語ったりする時間に使う。
患者の吐きたいという欲求は、スタッフの関わりによって愛情欲求が満たされることで、次第に乗り越えられるようになる。
薬物依存症 ドラッグという揺りかご
なぜ若者はドラッグを求めるのか
薬物汚染が若い世代の間で深刻な状況になっている。
若者はなぜドラッグに溺れるのか。
ドラッグとは何ぞやということについて、みごとな洞察を行ったのは、アメリカの精神分析医コフートであった。
コフートによれば、ドラッグとは自己対象の機能を肩代わりするものだという。
自己対象とは、その人の自己愛を慰め、支えてくれる存在である。
その起源は、空腹を満たし、濡れたオムツを替え、抱きかかえ、優しく愛撫し、歌を歌い、話しかけてくれる母親の姿である。
人は成長するにつれ、そんな母親を自分の中に取り込み、心の中の母親とでもいうべき自己対象を育んでいく。
それによって、母親がすぐそばにいなくても、見守られていると感じ、安心して他のことに熱中することができるのである。
ところが、自己対象が十分に育っていないと、その人は自分を自分で支えきれない。
不快なことが起きたりすればなおさらだ。
自己対象の機能を代行してくれるものを求めようとする。
それがドラッグだというのである。
いわば、ドラッグは母親が「よしよし」とあやしてくれた愛撫であり、揺すりながら歌ってくれた子守歌なのである。
しかも、いつでも望んだときに、手にはいる母の腕の揺りかごなのである。
自己愛が傷つきやすく、自分を支えられるだけ強くないと、ドラッグに依存しやすくなる。
同じように薬物を使用しても、幼い頃、愛情面の傷つきを持ち、愛情飢餓を抱えている人は、深く耽溺し、それから離れられなくなってしまう。
また逆に、ドラッグを断ち切るためには、ドラッグに代わるだけの支えや愛情が必要になる。
それなしにドラッグだけ取り上げたならば、その人は絶望して命を絶ってしまうこともある。
報酬系とショートカット
ドラッグとは一体何であるのかという問題を、脳のしくみにおいて考えてみよう。
ドラッグとは、それを体内にいれるなり、苦しみを忘れ、快感を覚えることができるものである。
だが、なぜ、ドラッグにはそんな作用があるのか。
そもそも、麻薬が麻薬となりうるのは、脳に麻薬を快感と感知するレセプター(受容体)があるためである。
麻薬などとは一切関係なく一生を過ごす人にも、こうしたレセプターは備わっている。
だが、なぜ、そんなものを神は創られたのだろうか。
もちろん、若者を麻薬に溺れさせるためではない。
実は、こうしたレセプターは、種を保存し、生き続けることの原動力を与えるものなのである。
もしこうしたレセプターがなければ、性行為をするものはいないであろうし、体を引き裂かれそうな苦痛に耐えてまで、子どもを生もうとはしなくなる。
将来の大きな目的のために、目の前の苦しさや困難に打ち克とうとはしなくなる。
それができるのは、そうすることが人に喜びを与える仕組みがあるからだ。
脳には、報酬系という一連のシステムがある。
麻薬のレセプターもその一部である。
種や個体の生存にとって利益になることをすると、この報酬系の神経端末から神経伝達物質が放出されて快感を引き起こすのである。
その最たるものは性的なオーガズムで、絶頂の瞬間、ドーパミンやエンドルフィンといった「脳内麻薬」が放出される。
人が飽きずにセックスに励むのは、この脳内麻薬の力による。
セックスに麻薬的な呪縛力があるのは、もっともなことで、セックス中毒の人の脳は、文字通り、性行為中に放出される「脳内麻薬」の依存症になっているのである。
別の言い方をすれば、神は、性の営みにおいてだけ、人が麻薬に溺れることを許されたのである。
それは、種の保存という至高の行為を行うことに対する特別な報酬であるとも言えるだろう。
ところが、麻薬的なドラッグは、この原理をぶち壊してしまう。
麻薬やドラッグは、快楽を引き起こすレセプターに直接結合することにより、あるいは神経伝達物質を溢れさせることにより、何の努力や貢献がなくても、生化学的に激しい快感を生み出してしまう。
セックスをしてもいないのに、オーガズムの何倍もの快感を生み出すのである。
それは、いってみれば、マラソンランナーが途中のコースを走る苦労を省いて、いきなり大観衆の拍手喝采が待ち受けるスタジアムに駆け込むようなものである。
つまり、近道(ショートカット)をして報酬だけを得てしまうのである。
【ケース】 シンナーが好き
支えられながら診察室にやってきたY夫は、まっすぐ歩くこともできない様子だった。
両足をそろえた状態で立っていることができず、体が揺れ、すぐ倒れそうになる。
運動失調とよばれる症状だ。
視力も著しく低下していた。
眼科の検査の結果、視神経炎を起こしており、どこまで回復するかわからないという。
シンナー(有機溶剤)中毒の後遺症では、幻聴よりも幻視が多い。
人の姿や影が見えたり、虫が見えるというものが典型的なものだ。
壁から人の手が伸びてくるということも、よくみられる。
また、幻覚というよりも物の見え方が奇妙になるというのも多い。
風景が歪んで見えたり、たなびくように見えたり、文字が動いて見えるので本が読みにくいという場合もある。
光の粒が見えたり、模様が見えたりということもよくある。
幻覚症状には、強い焦燥感(イライラしてじっとしていられない感じ)が伴うことが多い。
ときには、焦燥感だけが繰り返し出現することもある。
そんなにボロボロになっていても、Y夫は時々シンナーを吸う夢を見るという。
脳が、まだ乱用していたときの快感を忘れていないのだ。
有機溶剤乱用の特徴は、小脳や視神経をやられて、運動失調や視力低下を引き起こしやすいということだ。
ことに視神経炎は回復が鈍く、弱視の状態や失明に至ることもある。
そこまでやってしまってからでは手遅れなのだ。
【ケース】 夢はミュージシャン
初めて診察室にやってきたとき、髪を金髪に染めた青年Iは、げっそりとやつれた顔を、不機嫌そうに歪めていた。
腕や肩にはタトゥーが彫られている。
大麻取締法違反で逮捕。
アルバイトをしながら、アマチュア・バンドのドラマーをしていたが、大麻をやるようになってから、バイトもしなくなっていた。
父親は大手企業に勤めるサラリーマン、母親は、十歳以上も年下のお嬢さん育ちの女性であった。
Iは甘やかされて育てられたが、父親はあまり子育てに協力的でなく、母親はときどきヒステリーをおこし、Iをおいて実家に帰ってしまうこともあった。
Iが小二のときに、母親が他の男性と家出をして、結局、両親は離婚となる。
以降、母親との連絡は途絶えている。
離婚したことで、Iに寂しい思いをさせていると、父親は息子に過分の小遣いを渡すようになり、生活が乱れ始めてからも、負い目ゆえに、まったくIを叱れなかった。
小学六年のときに父親が再婚したが、最初から義母との折り合いが悪く、Iは義母に対してあからさまに敵意を示し、一緒に食事をしたこともない。
中学に入って、義母や父親に対する暴力が始まる。
高校に入学すると、Iは別に借りたワンルームマンションで一人生活することになったが、Iの暴力に堪りかねた両親の苦肉の策だった。
しかし、毎月の生活費を使い果たしては金を無心にやってくる。
義母が金を渡さないと、物を壊して暴れたり、暴力で威嚇した。
バンド仲間のところに入り浸るようになり、そこで大麻を覚えた。
金遣いは荒くなる一方で、怪しげな金融会社に多額の借金をしている。
当人は、新しいバンドに招かれて、東京進出を果たそうとしていた矢先の逮捕だったと、口惜しがるばかりで、薬物や家庭内暴力については、何ら反省の様子もない。
こんなところで、無駄に時間を過ごしていることにイライラすると、険しい顔をしている。
「人の目が気になる」「おれのことを馬鹿にしているように思う」「腹の中で何か企んでいる」「まったく、やる気が出ない」と訴える。
これらの注察念慮、被害関係念慮や意欲の低下は、薬物の後遺症によるものだった。
気分の起伏があるが、全体に沈んでいることが多い。
何に対しても、肯定的には受け取らず、憤りと反感を覚える。
「親父が変な女を連れてきたせいで、おれの人生が狂った」と怒りをぶちまけ、すべての失敗を、すべて親のせいにしていた。
だが、そんな怒りを並べ尽くした頃、徐々に口にする言葉に変化が見られ始める。
「父の手紙を読んだら、帰ろうかなと思った」という。
あれほど貶していた父親からの励ましの手紙が、よほど嬉しかったようだった。
無論、道は平坦ではない。日によって、気持ちは揺れる。
親に対しても、金も出さない癖に口だししないでほしいと、煩わしがったりする。
ただ、以前と違って、体を鍛え、読書にもよく励んでいる。
「ここで神経過敏を完全に治したい」と、これまでの彼の発言からすると、耳を疑うような前向きな言葉も聞かれる。
矢沢永吉の『成りあがり』という本にとても感銘を受けた様子である。
日ごとに顔つきに生気が戻っていく。
だが、ときどき過去の恨みがましい話に戻る。そんな中で、彼は母親が出て行った頃のことを語り始める。
彼はまだ小学二年生だった。
父親は、まだ小さかった妹と三人で、心中しようかと言った。
あるときは、「施設に入れ」と言われた。
父親の帰りが遅くて、毎日毎日インスタント・ラーメンばかり食べていた。
彼は、母親が出て行く間際に、幼い彼に言った言葉をはっきりと覚えていた。
「好きなことだけやればいいの」と母親は幼い息子に言い残したのだ。
彼は母親が言った通りに生きてきたのだ。
その後も揺れはあったが、次第に状態は安定し、薬も減らすことができた。
アルバイトをしながらミュージシャンを目指すと、父親に引き取られて社会に帰っていった。
最近の薬物乱用の特徴は、明らかな愛情不足や家庭の問題もあまり見当たらない若者たちにも、深刻な薬物汚染が広がっていることである。
次のケースは、そうした一例である。
【ケース】 好奇心は命取り
建材店を経営する両親と三つ年下の妹の四人家族で、本人は長女ということになる。
家庭は裕福で、母親の躾もきっちりしていた。
成績も中の上で、友達も多い。
中学時代、服装違反をしたことはあるが、大きく脱線してしまうことはなかった。
色白の美しい少女で、将来タレントになりたいという夢をもっている。
高校一年のとき、失恋した直後に、過呼吸の発作を起こした。
それ以降、半年に一回くらい発作が起きている。
高校二年のとき、中学時代の先輩の男性から、「やせられる薬がある」と、覚醒剤を打たれたのが最初だった。
その瞬間、髪の毛が逆立つような感じになって、ものすごく気持ちよくなった。
打つと二日間くらい眠らずに、活動し続ける。
アイデアが溢れてきて、文章を書き続けることもある。
施設にやってきても、人の影が見えたりイライラするフラッシュバックの症状が時々出て、頭を抱え込んで壁際にうずくまっている。
しかし、今も、覚醒剤を打つ夢を毎晩のように見るという。
自分の脱線については、「ずっとよい子できたけど、親に束縛されるのが厭になった。
それで自由に羽根を伸ばそうと思ったが、行き過ぎてしまった」と振り返る。
「親の理想としては、真面目なお嬢さんタイプに育てたかったのだと思うが、本当の私は違う。
ここ(施設)が、今の私の居場所。
ここ以外にいるところがない」と語った言葉は、何不自由なく育ったはずの少女の言葉とも思えなかった。
表面的には比較的落ち着いた生活で、無難に過ごしていたが、芯の部分は変わっていない状況が続いた。
経過の半ばを過ぎた頃、規則違反に連座して、処分を受けた辺りから、自分に対して、真剣な自己反省が見られるようになった。
このままだと、また帰ったら必ずやってしまうと、率直に不安を語り始めた。
それから、言葉の一つ一つが地に足がついてくるのを感じた。
自宅に戻って父親の建材店の手伝いを経て、就職。
覚醒剤の再使用はなく、勤務先で知り合った男性と結婚し、二児の母親となっている。
英語の古諺で、Curiosity killed the cat.(好奇心はほどほどに)というのがあるが、若者の薬物使用のきっかけで多いのは、最初は「ちょっとした好奇心から」というものである。
この「ちょっとした」が、後戻りできない地獄の入口になるところが、薬物の怖さなのである。
冒険好きで、怖いもの知らずの若者は、容易にそのワナに捉えられてしまう。
その恐ろしさは、まさに一生ものである。
先のケースは幸運なもので、一度依存を生じると、それを脱するのが容易でないケースも多い。
体はボロボロになり、完全な精神病状態に陥り、使用中に突然死するケースも稀ならずある。
追いつめられた挙げ句、死を選ぶことも少なくない。
針を介して、C型肝炎やエイズなどに感染するケースもある。
たった一度の好奇心が支払う代償としては、余りにも重いものである。
その怖さを、小さい頃から教え込むことが大切だろう。
【データ】
乱用薬物(物質)としては、有機溶剤、大麻、覚醒剤の順に多いが、精神障害を来して精神科で治療を受けたケースは、覚醒剤によるものが半数以上を占め、その危険性の高さを示している。
中学生を対象に、2000年に行われた調査では、シンナー遊びを一度でも行った者の割合は1.3%、大麻、覚醒剤の割合は、どちらも0.4%であった。
一方、その前年に実施された調査では、十五歳以上の国民が生涯に違法薬物を経験する割合(生涯経験率)は、それぞれ1.5%、0.8%、0.4%であった。
使用頻度は少ないが、ヘロインのような麻薬では、より強い依存を生じる。
最近の傾向としては、大麻、コカインやエクスタシーなどの合成麻薬の使用が増えている。
ある研究によると、有機溶剤の乱用者の親の養育態度でもっとも多いのは、両親とも放任や指導力不足の場合であり、ついで、母親が溺愛や過干渉の傾向を示す一方で、父親が威圧的なケースだとされる。
【対応と治療のポイント】
二つの地獄 フラッシュバックと依存
物質関連障害の治療では、主に二つの問題にそれぞれ手当を行うことになる。
一つは、薬物や依存性物質の後遺症に対する治療である。
これには、主に薬物療法が有効である。
フラッシュバックの症状が出たときには、早めに医療機関を受診し、適切な投薬治療を受けることが、大きな悪化を防ぎ、早く回復することにつながる。
もう一つ手当てすべきは、より手強い、依存の問題である。
依存には精神依存と身体依存があるが、身体依存を生じている場合は、入院治療が原則となる。
身体依存がある場合、使用を中断すると離脱症状を生じ、それを安全にコントロールすることが必要になるからである。
だが、身体依存を入院治療で断ち切って、社会復帰しても、依存からまだ完全に脱却しているわけではない。
精神依存が残っているのである。
薬物を使用としていたときの快感の記憶が心のどこかに焼き付いていて、厭なことがあったときに、悪魔の誘惑が心に忍び込んでくるのである。
しかも、そこには、精神依存の問題だけでなく、身体依存の名残もからんでいる。
麻薬性物質は、一旦依存を生じると、脳は永久にその快楽を忘れず、心のどこかで、絶えず再会を待っているのである。
そして、何年別れていようと、一度でも再会するとすぐ昔の依存状態に戻ってしまうのである。
その意味でも、薬物依存は、胸を焦がす激しい恋に似ている。
もう忘れたと思っても、ふと会いたい思いが込み上げてきて、切なさに身もだえしそうになるのである。
そこで会ってしまえば、また元の木阿弥だ。
たちまち焼けぼっくいに火がついてしまう。
しかし、薬物を欲しくなる気持ちは、絶えず同じくらい続くわけではない。波があるのだ。
発作のような恋しさの大波を何とかやり過ごせば、すーっと嘘のように楽になっていく。
あんなに恋しく思っていたことが、それほど大したことに感じられなくなる。
そうした波をいくつもいくつも乗り越え続けていくことが、薬物を断ち切るということなのである。
次第に波は小さく、やってくる周期も長くなっていく。
だが、ときには、何年ぶりかに大きな波がくることもあるので、決して油断しないことだ。
自分を過信した瞬間、失敗が始まるのである。
断ち切るためには何が必要か
薬物はただ薬物を断ち切ろうとしても断ち切れない。
その人の人生が、薬の世界ではない現実の世界につながり直さなければ、必ずまた薬物に戻っていく。
現実の世界につながり直すプロセスは、まず危機感をもつことから始まる。
このままの人生でいいのかと思うことが出発点なのだ。
その気持ちが起きない限りは、誰にもどうすることもできない。
だが、薬物から逃れられない者も、心のどこかで、これではダメだと思っている。
ただ元の世界に戻ることを諦めているだけだ。
あるいは、自分は薬物と共存しながらうまくやっていけると思い込もうとしている。
どんどん精神が蝕まれて、薬物より大切なものがない人生に陥ってしまっても、そう思うことで自分を欺くのである。
本当の意味で危機感が兆すためには、自分の過信に気づく必要がある。
そんな瞬間が訪れるのは、自分は失敗するはずがないと思っていたのに失敗したときに多い。
こんなはずではと、はっとなるのである。
ところが、そのとき変にかばったり、逃げ場を与えてしまうと、自分で責任を取らずに、ごまかせばいいのだとしか学ばず、折角の気づきの機会を台なしにしてしまう。
危機感を持たせるためにも、問題をうやむやにしてもみ消すのではなく、本人に責任を取らせることが大切である。
危機感を持つようになると、その人は真剣に考え始める。
薬物を断ちきるためには、どうしたらいいのかと問い始めるのである。
それは、自分に人生を取り戻そうとすることに他ならない。
それとともに、これまでは、家族に対しても不満ばかりを言い、悪いことはすべて家族や周囲のせいにしていたのが、それはただの誤魔化しだったと気づくようになる。
そして、家族が必死に手を差し伸べてくれたことに、感謝を覚えるようになる。
こうして、自分自身とも、周囲の存在とも、本当の意味でつながり直していくのである。
そうなると、これまで都合良く利用していただけの存在が、大切に思えてくるのである。
薬物の誘惑が襲ってきたとき、防波堤となるのは、信頼する人物や家族との絆であり、また昔のように自分自身を見失いたくないという思いである。
薬物を断ち切り続けるためには、絶えず心のスキに備え、危機感を喚起し続ける必要がある。
薬物との戦いは孤独なものとなりがちで、それが再使用にもつながる。
そうした意味で有効な手だてとして、自助グループや治療共同体への参加が勧められる。
断ち切ろうという決意がある人にとって、ダルクやNA、マックといった機関への参加は大きな支えとなる。
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